インタビュアー:asian gothic label掛川
では、みなさんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
第一弾の大澤さんのインタビューに続きまして、今回はユウテラスから3人にお越し頂きました。まずは自己紹介からお願いします。
鍵盤弾いてる、めいまるです。
『あべこ』こと、阿部佳小利(あべかおり)です。ドラムやってます。
ギターを弾いております上隼人(かみはやと)です。
前回は大澤さんのロングイタンビューをさせて頂いて、『ユウテラスがこんな感じで出来上がってきた』みたいな話もして頂いたところだったんですけども、『実際に3人から見たユウテラス』みたいなところも聞いていければなと思っています。まず、めいまるさんはユウテラス加入というか、いつぐらいのタイミングで入られたんですか?
そもそもは2003年の年末に神戸でとある年越のオールナイトイベントがありまして、いろんなバンドが集まってて、そこにライブを見に行った時に初めてユウテラスというバンドを見て、そこからすごい好きになりました。それからユウテラスを見に神戸に行ったり、大阪に行ったり、東京でライブがあるとなったらすかさず行ったりしていて。そのうちゆうくん(爽遊/大澤雄介)から『ピアノ弾けるんだったらどぉ?』みたいな感じで声をかけてもらって、それをきっかけに2011年にユウテラスのメンバーとして入れてもらったという感じです。
じゃ最初はファンというかそういう感じで?
そうですね。初めは単純にファンとして見に行ってました。ユウテラスの美しいメロディーと歌詞、爽遊の声にめちゃ惹かれましたね。
それ以前は何か鍵盤や楽器をされてたんですか?
ただ趣味で小さい頃からピアノを習っていて、ただ家で弾いてるだけで、あとは学生時代にホルンやトランペットやらサックスを触ったくらいです。
バンドを組んでやったりというのはなかったんですか?
いやーなかったです。
2003年から加入するまではほんとに普通にライブを見に行く、
ただの客でした(笑)。
ははははは。でも大澤さんの中ではピアノを弾けるという情報は知っててみたいな。
そうですね。当時、電話ごしに『ピアノ弾いてみて』と言われ弾いたら決まったみないな。
めいまるさんが入るまでユウテラスは鍵盤は誰かやってる方いらっしゃったんですか?
一時、ユウテラスが神戸や大阪を拠点としていた時に、鍵盤とギターを弾いてくれてた人がいて、その後は『花火』という曲でまた別の人が鍵盤を弾いてくれてた時もありました。
なるほど。じゃユウテラスはもともと毎回鍵盤奏者が入ってたんですか?
ユウテラスの初期の『大人抹殺』の頃にはゆうくんの弟のRa-Uくんがシンセやピアノを弾いてました。
鍵盤がいる時期があって、いない時期があって、またいる時期があってっていう。
なるほど。それで2011年くらいのタイミングでめいまるさんをメンバーにみたいな。
そうですね。
その時はどんな感じだったんですか?
いや、もうほんとにバンドのことなんて右も左も何もわからない状態で入ってたので、みんなに凄い迷惑かけたなって。でも当時メンバーはみんな年上だったのですごく優しかったです。みんな働いてたので深夜にバンド練して寝ずに仕事行ったりと過酷な日々でしたけど、これがバンドマンなんだって当時思ってました(笑)。今考えるとめちゃくちゃハードな生活でした(笑)。
そのころは神戸の方に住まれてたんですか?
わたしは東京で生まれて東京で育ったので、ライブを見に遠征してました(笑)。ユウテラスが神戸を拠点としていた後に東京に出てきて、それから少し経ったタイミングで声をかけてもらったって感じです。なので活動の為に関西に行ったりというのは当時なかったです。
なるほど。ちなみにそのころ阿部さんはドラムをやってた感じですか?
私はユウテラスを出たり入ったりを繰り返してるメンバーでして(笑)。もともとは地元愛媛の今治で姉妹でバンドやってた時に、その頃のユウテラスと対バンをして。
へぇーじゃ大澤さんとは別々のバンドで?
はい。地元の今治ジャムサウンズというライブハウスのイベントで対バンして、そこで初めてユウテラスを見て、私みたいな田舎もんからしたらなんて斬新な曲をやってるんだろうって感動して。その時はただ出会っただけだったんですけど、お互いにバンドが消滅してしまって、ゆうくんから『曲録りたいんやけど一曲叩いてもらえんかな?』って、ジャムサウンズの兵頭さんを通して電話がかかってきて。
なるほど。
でもゆうくんがドラム叩けるのを知ってたから、なんで自分で叩けるのになぁってて思いながらも『ぜひ』ってやらせてもらって。それで『せっかく曲も録ったし、ライブやろか』みたいな話になってライブをやって、『せっかくライブやったからツアー行こか』みたいになって、2年間かけてツアーを駆け巡って。『大人抹殺』を録ったところでバンドがなくなって、私は上京してきました。めいちゃんがユウテラスのライブを見に行ってた頃、私もユウテラスの東京ライブは見に行ってたから、めいちゃんとは私がユウテラスを辞めてる時に出会った感じです。
なるほど。
で、またユウテラスを新しくやり直すって時にお手伝いで参加して。東京埼玉に住んでた時にやり始めて、そのあと事情があって私は大阪に引っ越したんですけど。
あっそうなんですねー(笑)。やっぱ色々ありますね。長い歴史があると。
東京出てきて、それから大阪行って。大阪もええ所なんやけど自分が骨を埋める場所じゃないなって感覚がずっとあって、何かやり残した感がすごいあったから、早くこっち(東京)に戻りたいなってのがあって、一年半くらいでこっちに戻ってきてそのままユウテラスをやってました。
東京に戻ってきてまたユウテラスに?
東京に戻ってきた後、ゆうくんも東京に出てきて、ユウテラスをやってる時に色々あって、私はパーカッションになって、新しいドラムの人が入った後にめーちゃんが入って。
それでそのメンバーで『みかん畑でつかまえて』というアルバムを作ったんです。
2人がメンバーとして揃ったのがその時期と。
2012年だったかな。
そんな感じなんですね。じゃ、ユウテラスは大澤さんがずーっと紆余曲折ありながらやってて、なんだかんだみんながそろったのが2011?2012年くらい。あぁーおもしろいですね。最初のツアーは過酷に周ったというか全国をめちゃめちゃ周ったって話を前回聞いたんですが。
右も左もわからずに(笑)。
日雇いバイトしながらツアーしてたって?
そうその時タオル会社の正社員で事務員で働いてて『ツアーに行きたいんで休みたいです』って言ったら『ダメです』ってそりゃ言われ。
ははははは。そりゃそうでしょうね。それは今治で普通に就職して?
そう。今治なんてフリーターとかなくて、田舎だから。派遣とかもないからアルバイトを掛け持ちでやってました。パチンコ屋さんでコーヒー配るやつとか、夜中ガストで働いたりとか、昼間はブティックでお茶出しやったりとか。
へぇ?!
今治ジャムサウンズに無理言って、PAの仕事とか興味あっから手伝わせて下さいとか言ってアルバイトで日曜日とかイベントの時だけちょっとだけ手伝わせてもらって。線巻くのが凄い好きみたいな(笑)。
はははははは。
すごーい。
はははは。シールドやたら巻いてくみたいな(笑)。じゃ就職してたのは辞めて、ツアー行く為にみたいな?
そう。退職金使い切って、車も売って。
まじっすか?(笑)。なんか誰よりもパンクスな可能性ありますね(笑)。その時、女性メンバーはお1人だけ?
そうですね。
結構、親だったら心配する感じじゃないですか?
きっかけが、うちの母親が病気になっちゃって半年で急に死んじゃって、今まで親がストップかけてたのが、急に舵取りがいなくなって、自由になりすぎて(笑)。
タガが外れちゃった(笑)。
逆に自由すぎてわからなくなっちゃったみたいな(笑)。
そうその時、結婚もしてたんですけど旦那が結構、自分が好きというか、親が死んだから優してくれるとかそういうタイプの人ではなくて、ただ一緒にいて楽しいから一緒にいたみたいな感じだったので、自分の拠り所がどこにもなくなって、そうゆう時にゆうくんから声をかけてもらって。『あーやっぱ音楽必要ー』って思って。主婦がこんなに音楽やるのもアレやなと思って。
タイミングですね。そうゆうタイミングだったからもうツアー出ちゃおう!みたいな。
あの当時は本当申し訳ないですけど、音楽に依存している状態で、もう無我夢中でただ真っ直ぐ突き進む事しかできない、もうちょっと容量良くやればよかったんですけど、容量良くとかそんな余裕もなくただひたすら必死でやるだけみたいな。
でもそこに音楽があって、大澤さんがいたから良かったですよね。ある意味ほんとに何にもなくなっちゃうよりは。
ほんとにありがたいなって。母ちゃんが心配して引き合わせてくれたんかな?って思うくらい。今までそうゆう出会いが音楽ではなかったので。地元の仲のいい人達とバンドはやってたけど、ここまで打ち込めるような感じではやってきてはなかったので。
ちなみにドラムってなかなか女性であんまり選ばない楽器だと思うんですが、いつぐらいからドラムをやり始めたんですか?
中学生の時に吹奏楽部でパーカッションをやり始めて…。初めは花形のフルートとかクラリネットをやりたいと思って見学に行ったんですけど、そしたらスネアロールが聴こえてきて、聴いたことない音を聴いて『うわぁ?、凄いかっこいい!』と思って。見学した後に『みんなどれをやりたい?』て先輩に聞かれて『小太鼓やりたいです!』って小学生の感覚で言ったら『あーパーカッションね』って(笑)。
へぇー。じゃ最初は吹奏楽部スタートでそうゆうリズム系の楽器を。ちなみにお二人はどういう音楽が好きだったんですか?最初の音楽の入りというか。
わたしはピアノを習ってたからクラシックとか、久石譲さんの音楽とかが凄い好きだったんですけど、10代後半頃にいろいろバンドの音楽を聴くようになって、ガガガSPが好きになって。
なるほど!
そっからライブにめちゃくちゃ行くようになって、それまでは全然むしろバンドの音楽ってあんま聴いてなくて。父親の影響でビートルズを聴いたりとかそれくらいで。
急にガガガSPに行くっていう(笑)。なかなね(笑)。ちょうど大澤さんのインタビューでもガガガSPの話はめちゃめちゃ出てきたんで。なんでガガガSPに?急にそこ行くんすか?
今あまりないですけど、当時近所に無名のレンタルCD屋さんがあって視聴とかできて、そこでちょうど試聴コーナーがあって聴いたんですよ。今までは曲を聴く時はあまり歌詞とか聴かなくて、音楽だけ聴くみたいな…。
クラシックから入ってるからみたいな感じなんですかね。
どうなんですかね。でもその時初めてちゃんと歌詞を聴いて泣きそうになったんです。
ちなみになんの曲だったんですか?
そん時出たアルバムが『おらぁいちぬけた』ていうアルバムで、それが試聴できるようになってて色々良い曲が入っていて、かなり衝撃を受けました。それでライブに行くようになってユウテラスに出会ってしまったってゆう。
あ、それじゃ2003年の神戸のイベントはガガガも出てるしユウテラスも出てるしみたいな。
そうです。サンボマスターとかも出ていて。
なるほどー。世間的な言い方でいうといわゆる日本語パンクみたいのが『ガーッ』ときた時代というかね。
そうなんです。話飛んじゃいますけど、もともと唱歌、学校とかで歌うああゆうピアノもすごい好きだったんで、ユウテラス解散を2013年にして、その後はゆうくんと2人で『紅男と虎椿』を始めたんですけど日本の唱歌とかを題材にして曲を作ってました。
ユウテラスの音楽性、そうゆうところがやっぱ根本にあるんですかね。詩とかメロディーとか洋楽のエッセンスもあるんでしょうけど、ちょっとこう郷愁を誘うような。
日本感てのはすごくありますね。
なるほど。ちなみに阿部さんはどうだったんですか?
私は小さい頃から両親が何かしらレコードをよくかけてたのと、あとは子供向けの童謡のレコードも買ってくれてたので、『クリスマスソング』とか『ひな祭り』とか『ピンポンパンの歌』とか、そういう童謡から入っていって、『さっちゃんはねー』とか普通に歌ったりしてました。その後は小学生の時に『ピンクレディー』にハマって、同級生のいとこと二人で何に出るわけでもないのにひたすら歌って踊りまくって、歌手になるぐらいの勢いでやってて、その後も歌謡曲をずっと聴いてました。高校生になってからはパチパチとか音楽雑誌を読んでたバンドのメンバーから日本のロックバンドを教えてもらうようになって、『爆風スランプ』とか『レベッカ』とか『BOOWY』とか知って、イイねってなって『レベッカ』のコピーからバンドを始めました。
なるほどなるほど。
その後はバンドの先輩がハードロックをやってたから、ハードロックに染まって『浜田麻里』をやったり『アースシェイカー』やったり『ラジャス』をコピーしたりしつつという感じで。
割とハードめなドラムを全然叩いていたというか。
そうだから80年代の『ドンパンドンパン』っていうひたすら8ビート『ドンパンドドパン』しかやってないから、ユウテラスを初めて見た時は『なんて斬新な聴いたことないような音楽をやってるんだろう』と思いました。初めて一緒にスタジオに入ってやらせてもらった時も、16ビートの曲も8ビートしか叩けないもんだから8ビートで録音するという、なんも分かってない者を使ってもらうみたいな感じでした(笑)。だから私からすれば自分が見た前のユウテラスが自分の中にイメージとしてあるので、自分が入ると全く違うものになってしまって本当にこれでいいんだろうかって、私ができてないって思い続けてしまって、みんなに迷惑かけるっていう感じでした(苦笑)。
そんなことはない(笑)。だけど意外と大澤さんのインタビューをさせてもらってると、必ずキーポイントのところで阿部さんが登場してくるっていうイメージがあるから、たぶんドラムだけではなくて、なんか広いところで、人間としてなんかなんでしょうね。
なんか私自身もちょっとめんどくさい奴なんですけど、初めてゆうくんを見た時に、『ちょっとなんか同じような感じの、でも私より100倍大変そうな人がおる』ってすごい思ったんです。初めて対バンした時に『いやぁ。私この人とバンドなんかしたら大変やろうな』って、まだ一緒にやるっていうのもないのにすごく思った記憶はあるんです。だから何かそういう。ね。まさか一緒にやるとは思わなかったです。
最初会った時は今治のライブハウスの企画か何かで普通に対バンしてみたいな感じで?両方ともオリジナルでやってたんですか?
そうその時はお互いオリジナルでした。私は当時『ミッシェルガンエレファント』がすごい好きで、妹もすごい好きで、そういう曲やりたいっていうので『ドンパンドンパン』ってそういうのを妹とやってました。
大澤さんもね、『ニルヴァーナ』とかグランジっぽいのが好きというのがあって、意外とそういう歪んだギターとかそういうところでリンクしたのかもですね。
そうですね。そういえば話は変わりますが、私が初めてユウテラスをやった時にいい曲だなと思ったのは『吾輩は』っていう曲で、『大人抹殺』にも入ってるんですけど、アルバムを録る前はもうちょっとゆっくりのテンポでやってて、『ほんとにいい曲』って思って。そこから私はすごいユウテラスのことが好きで、ユウテラスの曲がすごい好きでやっていたのに、自分がイケてなさすぎて辞めるじゃどうじゃこうじゃばっかり繰り返してたから、今治ジャムサウンズの兵藤さんが『そんなに好きでやりよるとは知らんかった』って言われて(笑)。『相当好きでやりよったんじゃ』って言ったんですけど。
あべこさんも一緒にカナダに行って『大人抹殺』を録ったんですか?
そうそう。
原さんもそうですけど、意外とみんな大澤さんが作る曲とかユウテラスが好きで、今いるメンバーが出来上がっている感じがありますね。
そうですね。
では、原さん、上くんを除いて2013年に今の体制の今のメンバー間みたいな感じになっていったんですか?
どうなんだろう。
そのベースがいて、ドラムがいて、ゆうくんいて、あべこさんパーカッションでいて、私が鍵盤で入った後にいろいろあって、まずはじめにドラムの人が辞めちゃって、その後もいろいろあって、ベースの人が辞めちゃって、3人残ったわけですよ。それで3人で最後のライブをユウテラス解散前にやって
え、3人でやったんですか?ベース抜きで?その時は阿部さんはドラムで?それともパーカッションで?
その時はパーカッションでした。
じゃドラム、ベースレスみたいな感じで?そのライブはちなみにどこでやったんですか?
それって今治やったっけね?駅前の。
あれ?新宿サクトじゃなかったでしたっけ?
そうだ。神戸、今治と回って、一番最後に新宿サクトでやろうって、そんな感じだったと思います。
だけどまあ、そこで一旦、終止符を打って。それでまたどういうきっかけで集まり始めたんですか?
それは、ゆうくんとまあちゃんが仲良くなっていった頃に、めいちゃんとゆうくんの二人のワンマンがあって、私、見に行ったんです。そしたらまあちゃんもちょうど見に来てて、それでその日はステージにドラムとベースが置いてあって、『え、なんでやろ』って思ってたら『せっかくやけんなんか一緒にやろう』ってライブ中に。
へー本番中に?
そう本番中に『青春ジェットやろう』ってなって飛び入りでやったことがあるんですよ。
へー、阿部さん叩けるとしても原はよく…
そうそう。
でもでも弾いてたよね。
好きだったんでしょうね。曲知ってて…
『ちょっと練習』って、ステージ上で練習して、その後1曲やって、その時はその時だけだったんですけど。
そうか。だってほんとはね、二人のライブだったんですもんね。
そう、それでその後ゆうくんが西日本豪雨で大変だった時に、なんかできんやろかっていうので、音楽をやるってなった時に、『ユウテラスをバンドで見たい』って言ってくれてる人がおるみたいな感じになって。その時、たぶんまあちゃんには先に話がいってたみたいで、『ドラムどうしよ』ってなった時に、たぶんその時に一緒にやったのを思い出して『あの人でいいんじゃない?』みたいな感じで。
なるほど。一回セッション的な感じでやったなっていう。
たぶん、あれがなかったら声はかかってなかったかもしれないです(笑)。
その4人と1匹で初めてライブしたのが愛媛県の大津ってところでやったライブですね。
じゃほんとにみんなで東京から出かけて。
そう車で4人で。狭い(笑)。
あれ、ほんとによく全部楽器乗ったよね。
よく行きましたね。で、それで声かかった時は『すぐやります』みたいな感じだったんですか?
最初はなんかすごいゆうくんも一回、解散して終わってるのにもう一回やるっていうのもたぶん、声はかけにくかったと思うんですけど、いろいろ話していくうちに、日にちを聞いてみたら空いてたから『じゃ、私その日空いとるけん』って返事して。
空いてるのがまたよかったですね。
それで『じゃあやりましょう』って。
へーそれでお二人はまたユウテラスって名前でやるってことに対していろいろ思ったりはしたんですか?
いやあ。私はユウテラスって名前が無くなるのが嫌だったので、どんな形であろうとユウテラスがまたバンドでできるっていうのはよかったなって思います。
阿部さんはじゃ、誘われた時にスケジュール空いてたからその、前向きにというか?
その時はほんと、その時一回限りのつもりで『見たいと思ってくれてる人がいるんだったらやりたいな』と思って、喜んでもらいたいなという気持ちでやったんですが、ユウテラスは好きやし存続してほしいけど、ユウテラスをやるっていうことはやっぱり音楽がすごいから、自分がそのアマチュア感が抜けてないままやるってことは自分にとっては大変なことやから、それは悩みました。妹ともけんかもしたし、妹もユウテラスやゆうくんのことを知ってるから、『姉ちゃんは中途半端な気持ちでやってるからそんなんじゃ絶対無理』って言って…。いろいろ思うところはあったんですけど、やっぱり楽しかったんですよ。大州が。その、まあちゃんに出会った時に、ほんとに音楽がすごく好きな人っていうのがにじみ出てて、『ああ、こんな風に音楽のことを好きと思って自分もやりたいな、そういう人になりたいな』って思ったし、このメンバーでずっといたいって思ったんです。ユウテラスはもちろん好きなんだけど、以前やってたユウテラスのこととかは一旦、置いといて、このメンバーで音楽をやりたいという気持ち、このつながりを大事にしたいって気持ちでやらさせてもらってます。
バンドとしては一番美しい形というかね。みんな人間の集合体ですからね。この人間でしか出せない音っていうか、違う人が入っても違う音になりますし、それでだけど一緒にやってるっていうのはすごくいいですね。今、その最高のメンバーが揃って。
そうですね。メンバーとしてみんなのことがすごい好きっていうそっちのほうが大きいです。
ゆうくんとまあちゃんの再会っていうのはすごい奇跡じゃないけどすごく大きいことだったんだなって思います。
そこの部分は実際、そこに居合わせてたわけではないですよね。阿部さんは。
そうですね。再会したきっかけには居合わせてはないんですけど、ゆうくんがまあちゃんのことを『一緒におったら分かる、一緒におったら分かる』って、ずーっと言ってて、確かに分かるって思いました。自分も歪んだ感情でずっと、いってみれば出来損ないの、ひがんだ感情でずっと音楽をやり続けてきて、なんかもったいない音楽の扱いをしてきたなってすごい思って、まあちゃん見てたら、ほんとに音楽が好きでやってて、『これが本当の姿やな』と思いました。それですごい真っ直ぐなんですよ。まあちゃん、すごい真っ直ぐで、分からんことは分からんって言うし、知りたいことは知りたいって言うし、その真っ直ぐな姿が素晴らしいなと、心洗われるっていうか。
はははははは。
だいぶ矯正された気がします(笑)。
本人の前でいうとすごく照れるっていうそういうところで(笑)。じゃ、そのメンツで音鳴らしたのが2018年ですよね。そこからライブ本数ってどのくらいやってたんですか?新たなメンバーでは。
ずっとレコーディングしてて、最初やる予定だったライブもコロナが広まってきて無くなったから…。昨年の5月1日のイベントが2回目だよね?
うん。そう。
3回目がワンマン、4回目が昨年の新宿サクトだからほんとにやってないよね。
4回しかやってないよね(笑)。
そうですよね。だから音源とかYouTubeとかね。結構、曲の方が早くパッパッて出来てるから、コロナがあって、なかなかライブが思うようにできなくなっちゃったのももったいないですけど。
まあでもその分、いっぱいレコーディングで曲作らせてもらったので。
そうですよね。めちゃめちゃできてたので。なるほど。そんな中、上くんが入ってくるわけですけど
そうですね。そこで登場ですね。
僕が最初に出会った時はまだ上くんはメンバーじゃなかったですもんね。これはどういうきっかけで?
原さんとゆうくんが出会ったという時に、僕は原さんとはもう仲良く遊んでたわけですよ。で、『それでユウテラスっていうすごい奴がいるから、遊びに来るから一緒に遊ぼう』って3人で滝に遊びに行って。
はははははは。
もうライブなどはやっていた後ですか?
いやまだ新生ユウテラスができる前ですね。純粋に友達として3人で遊ぶタイミングがあって。そこで初めてゆうくんと出会って。その時にギターを持ってきてくれて歌ってくれたんですけど、すごく歌上手だし面白い曲だなと思って。その時は全くユウテラスを知らなかったんで。
ユウテラスっていうバンドのことを知らない状態ですよね?
はい全く。『才能ってこんなところに埋もれているんだな』っていうのが最初の印象で。そのあと原さんがユウテラスを始めたっていう話を聞いて僕とは違う世界の話だと思っていて、そこから少し時間が空いて去年の3月くらいに原さんから『リハーサルあるから遊びに来ない?』と誘われまして、暇だったんで行ってみた時が多分2人(めいまる&阿部)と初めましてで。リハーサルをただ見ているつもりが『ポン』とギターを渡されまして。
え?
はははははは。
僕10代の頃バンドをやってたことがあって、手遊びでは楽器やってたんですよ。家にも楽器がいくらかあるし。でも本当に趣味の範囲で全然弾いてなかったんですけど、『音出せるでしょー?』みたいな感じで渡されて。
それは大澤さんから?原さんから?
2人からですね(笑)。そこでゆうくんが『この曲やるからこういうフレーズを弾いて』とその場で教えてくれて急に弾くことになって、アワアワで(笑)。自分からしたらこういう経験はなかなか無いし、合わせるのも久しぶりだななんて思っていたら『再来月ライブあるからそれに出て?』と言われて自分も『滅多にない機会なのでやってみます!』という感じで。そこから練習に行くたび3曲ずつくらい増えていって(笑)。
この曲だけじゃないんだっていう(笑)。
僕はユウテラスに触れてなかったので、知らない曲を1から練習し始めて。でもゆうくんが『こう弾くんだよ』って弾き方を録画までして教えてくれて。それでもやっぱり多くてなかなか大変でしたね。
正式メンバーとしてと言うよりは急に遊びに行ったらギター渡されて、気付けば一緒にやってたみたいな?
その時はサポートギターとしてライブやることになって。でも僕はアマチュアですから。ただの一般人ですから。まあ大変でしたけどすごく楽しかったですね。
シングル『心中』の後からの加入ですか?
そうですね。10月の新代田FEVERのライブの時にお誘いもらって、どうするかっていう時に『もう腰まで浸かっちゃったから行くとこまで行こう』って感じで。そこが正式加入ですね。
そうだね!
僕は純粋に原さんの友達でギター弾けるとかも知らなかったので、FEVERで見た時にユウテラスにしっかり溶け込んでるしギターもバシッと弾いてるし。
上手いもんね!ギター。
いやあ僕からしたらユウテラスのメンバーってほんとプロなんですよ。CD出してちゃんと活動してて技術的にも。そこにポンと僕が入ってしまって『これは迷惑をかけるぞ』と思って。
でも後から入った者としては、そういう気持ち、うちらみーんな経験してる(笑)。
そうそう、経験してる(笑)。
みんなおもしろい入り口ですよね。それが今回のインタビューの共通点かもしれないですね。自分がユウテラスに入っていいのだろうかっていうのが出発点。
上くんがユウテラスに来てくれてから、人数が増えたっていうだけじゃなくて上くんのキャラクター?癒し系だし、なんていうのかな?雰囲気は変わりましたよね。
うん。変わった。ありがたい。
それはゆうくんからも言われてて。でも僕自身は感じ取れないところなんで『あーそうなのー?よかったのかなー?』としか(笑)。
やっぱり大澤さんと原さんていう、強烈な個の2人と女性陣の2人の間でちょうどよく。
緩衝材になってますかね?
めちゃくちゃなってると思う。
うん。なってる。
ほわっと和らげてくれる雰囲気があるのはバンドにとっていいのかもしれないですね。
そう言って頂けて嬉しいです。
ライブの時にすごくバランスがいいなと思いました。上くんは元々どういう音楽をやってたんですか?
10代の頃のバンド仲間とはパンクとかよくコピーしてましたね。でも邦楽はあんまり聞いてなくてそれこそグリーンデイとかオフスプリングとか。パンクというよりメロコアですかね。そういうのを好きな奴がいてずっとドカドカと。
2ビートでとにかく速いみたいな(笑)。
パワーコードしか弾かない!という感じでジャカジャカやってましたね。
そういうところ面白いですね。みんな違ったところから混ざり合って、ユウテラスというバンドの雰囲気になってくるんですね。
みんな好きなものが違うし、年代もバラバラだし不思議な集まりですよねー。
年齢聞いたらちょっと失礼かもしれないですけど、誰が1番上なんですか?
私が1番上です。 上くんとは親子くらい離れてるもんね(笑)。
そんなに!?カットしてもらってもいいんですけどおいくつなんですか?
私52です。
見えない!(笑)。
見えないですよね!
自分と同い年くらいと言ってもおかしくないくらい。
俺もそんなに上だと思わなくて(笑)。
大澤さんよりも全然上なんですね。だから『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って。
そう。一回り違うから最初世代のギャップがすごかったです。感覚が違うんですよ。10年も離れると。
それが一つのバンドになってるっていうのもまた面白いですね。
だってここ(阿部&上)、20近く違うし。
え?
僕32です。
上くんも若いのね(笑)。ここで初めて聞きました。大澤さんと原さんが一緒って言うのだけは知ってましたけど。
そこはみんな知ってるんですよね。俺けっこう近くに見られるんですよね。
そうそう。
『原さんよりちょっと下かな?』って言う風に。年齢を言うとびっくりされるんですよ(笑)。
そうそう!同い年くらいかな?という感じで。
でもまだまだって言ってももう32。
いやいやいや。
阿部さんは若く見えるし、上くんは原さんに寄りすぎてるし(笑)。
はははははは。
よく若年寄って言われます。原さんに。
原さんは好きなんじゃないですか?
ジジイが好きなんでしょうね(笑)。
1番落ち着いてるかもしれない(笑)。
そうねー。
ユウテラスって特殊というか面白いですね。それだけかけ離れた世代で。ちなみにめいさんはおいくつなんですか?
私は今37なんで、上くんとまーちゃん、ゆうくんのちょうど間みたいな。
カミセン寄りと言いますか。V6で言うところの。例えがおっさんですみません。(笑)。
はははははは。
こうして揃ったユウテラスですが、では最後にみなさんにこれからのユウテラスについて、今後どんな風にやって行きたいのかなど、お一人ずつ聞けたらなと思うのですが
私は昔やってた時の思いと今の思いは違うんですけど。今はみんなと一緒にいたいというのが一番強いんですけど、昔を思い返してみると、当時はゆうくんにしかないこの表現とか音とかの、これを待ってる人やこれを聴いて嬉しい人が多分たくさんいるんじゃないかと思って、たくさんの人に聴いてもらいたいって、そういう思いでずっとやってたんです。でもこの新ユウテラスになっても形は変わっても根本的なところは変わってない部分が大きいと思うので、やっぱりたくさんの人に知ってほしいなという思いが一番大きいですね。だから今こうしてやっていることは、みんなに知ってもらおうと思ってやってるからすごく意味があるなと思ってます。
ありがとうございます。そうですよね。なるほど。
お二人はどうですか?
年齢もばらばらで異色なメンバーで集まってるから、新しいユウテラスをどんどん作っていきたいなと思う一方で、すごく感じるのは、やっぱユウテラスってどんどんどんどんメンバーが変わって、活動拠点も変わってる分、昔からユウテラスが好きな人が今のユウテラスを聴きにくくなったりとか、ライブに来なくなってしまったりとか、そういうのが私も昔からファンだった身としては凄く、なんだろ…。寂しくて仕方なくて…。なので前から好きだった人、新しく好きになってくれた人が、昔のユウテラスも今のユウテラスも身近に感じてくれような新しいユウテラスに出来たらいいなと思います。
めいさんも言ってたけど新しい事を色々やりたいってのもありますが、今バンドに入っているってことがカッコいいことできる1番の状況じゃないですか。カッコつけるって昔は照れ臭かったけどもう限界までカッコつけてやろうと。なんでも挑戦したいなと思ってます。やれる時に思いっきりカッコつけよって(笑)。
ありがとうございます。では何か他に皆様にお伝えしたいことなどあれば、おっしゃっていただければと思うのですがどうですか?
それでは最後にまるくんの紹介をします。
ぼくもそれ聞きたかったです。
まるはメンバーの1人(一匹)なんですけど、まぁちゃんと仲が良くて相思相愛。溺愛。
はははははは。
9年前に伊豆に旅行に行った時にステンドグラス会館ってところに行ったんです。最後にそこのお土産売り場に行った時に、かわいいアクセサリーを買おうと思ってたんだけど、ちょこんて『まる』が座ってたんですよ、売り場に。見た瞬間に『わたしこの子欲しいー!』てなって、連れて帰ってその帰り道に早速『まる』て名前を付けました。ユウテラスが解散する前も紅男と虎椿の時も『まる』はいつも一緒だったんでなんですけど、この新生ユウテラスになって、みんなとも仲良くなって晴れて『まる』もメンバーになりました。
それでいつもライブの時も一緒に。
そうですね。そんでちょっと喋る(笑)。レコーディングでも歌ってるんです。
うん、歌ってる。
そうなんですねそれは全然知らなかった(笑)。
よぉく聴くと私が歌ってんのか?と思いきや声がちょっと違うとこがあって、そこ『まる』が歌ってるんで!注目してみて下さい。
僕もちょっと気になってんですよ。まるちゃん?まるくん?まるくんの存在が。
こないだはまぁちゃんがくれたおぎのや?
おぎのや。釜飯の。
そう。そのおぎのやのお土産をくれて、その釜がちょうど『まる』にピッタリで、釜に喜んで入ってスタホジオに来たりしてます。
はははははは。
あれ?ちなみに今日はお休み?
はい今日はお留守番してます(笑)。
はははははは。
ありがとうございます。皆さんその他は大丈夫ですか?
はい。
ではこのインタビューはこれにて。ありがとうございました!
ありがとうございました!
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