青年期から現在に至るまでの道のりとその過程を深く掘り下げる4万字に及ぶ
爽遊 (さわゆう) ・大澤雄介 ソロロングインタビュー!! (後半)

インタビュアー:asian gothic label掛川

------タバコブレイク後------

はい。で、まあ。何でしたっけね。
まあその一度死に死ぬ寸前までいったところからまたね、生を持って続きがきて、ちょうど今ね、タバコブレイクで話してたいろんな人との出会いみたいなところ。今ちょっと出たのは銀杏の峯田さんと
はい。元々もうGOING STEADYが大好きで、もう本当に大好きで、それはもうバンド始めてユウテラスでツアーとかやりだした後なんですけど『焼肉十番』って当時、神戸で焼肉を食べるお店がスタークラブの近くの高架下にあって、そこで食べてる時に有線でかかったんです。それを聴いて一気に恋に落ちて『なんだこりゃ』って
特にそれまで対バンしたりとかそういうことは?
全くないです。もう売れてましたからゴイステって。焼肉丼かっこみながら衝撃を受けて。そんでもうすぐタワーレコードへ走って、CDもあるだけ買って。そこからもう狂ったように聴くんですよ。そんな中で僕は4つ聴き狂いルーティーンしてたバンドがあって。その当時ものすごい好きだったガガガSP、スタンスパンクス、the band apart、GOING STEADY。この4バンドを壁に向かってヘッドホンつけて、必死で聴き続けてるわけですよ。正に狂ってる状態なんです 笑 もうほんとこの4バンドルーティンでずっと聴き狂い続けてた。うんうん。まあ、その流れからスタンスパンクスの川崎テツシってベースの男と今も仲良かったり、昨年も一緒にコラボさせてもらってたりとかするんですよ。マイヒーローたちなんですよ。
それでみんな出会ったんですか?
そう!まさか出会うと思わなかったです 笑 最初は。ガガガSPは僕らの初めてのレコ初に出てくれました。
そうなんですね
そう。その時はあんまり友達でもなかったのに電話をして 笑 なのに快く出てくれました。嬉しかったですね。で当時はジャパハリネットの連中と仲良しで。オクトパスピチってすごいカッコいいバンドもいて。そいつらともう肩組んで、なんなら全身脱いで大街道っていう松山のね、ラフォーレがあった道を、夜な夜な酔っ払って一緒に肩組んで歩いてるみたいな 笑 周りが大好きなバンドすぎてて、わー!きゃー!な毎日でした 笑 うん。
ジャパハリってなんかあれですよね。ギターの方がなんかお坊さんみたいな白い上下みたいなのを
彼は優しい人。ははは。ジャパハリはみんなめちゃいい奴らなんです。ベースの鹿島はこの間、愛媛のFMで「風立ちぬ』をかけてくれてたみたいで
ああ、そうなんですね
そう。でも、ネットで見かけただけなんで。本人とは連絡取ってないですし。カッシーありがとう。ぼくの勘違いだったらごめん 笑 話戻すんですけど。そっからまさかバンアパのみんなとも会うとか。あの原昌和と一緒に過ごしたり、演奏したりすることになるなんて思ってもないし。スタンスパンクスとも出会えるなんて思わないし。テツシは勿論、まさか自分がTSURUさんや欣也さんとも一緒に演れることになるなんて思ってない訳だし。みんなとあんな話こんな話が出来る時が来るなんて思えてなかったし。未だに夢みたいな気持ちです。うん。んで峯田和伸さん。僕にとっては勝手にもうお兄ちゃんみたいな人で。マイヒーローとゆうか、憧れの人で。音楽は勿論ですし、人間的にもとゆうか、物販での物の売り方、ファンの人への感謝の仕方、例えばそういう時には素直に感謝だけを持ってとか。そうゆうの一緒にユウテラスの物販に立って、一緒に頭下げながら教えてくれる人で。歌のまんまでめちゃくちゃカッコいい人だなって。そこ、まぁちゃんもびっくりするくらい同じで。こっちは勝手に一緒に生きてくれてる。。みたいなぽわんとあったかい、泣きそうな感覚になるんです。ほんと不思議。
峯田さんはどこでどういうきっかけで出会ったんですか?
ガガガの前田くんが峯さんと仲良くて。一緒にツアーしてたんで、GOING STEADYとガガガが。その関係で多分、前田くんの紹介?で知り合ったんだと思うんですけど...あんまり覚えてないです 笑
対バンしたっていう感じですか?
松山サロンキティに銀杏BOYZになった時に来たんですよ。まだ初期に。松山の後に一日空き日があって暇だからって今治に遊びに来たんです。
へえー
なんで来るのかな?って思ったんですけど 笑
それはあれですか?大澤さんがいるから遊びに来るっていう感じのなんか
いやいや。僕と前田くんがその日アコースティックでライブやる予定にしてたと想うんです。その時たまたま前田くんがいたからです。僕は全然関係ない 笑 んで何故かその時サンボの山口さんもいて
もうすごいですね。なかなか。今治で集結して
そうそう。ほんで何で山口さんがいたか覚えてないんですけど 笑 それで銀杏みんなで来て。なぜか流れで急遽、峯さんも出ることになって
本来、オフ日だったけど。その、弾き語りで、飛び入りで、参加みたいな
そう。当時ってBBSしかないでしょう?もうだからその告知も十分じゃなくて。だからそんなメンツでやってお客さんが58人という。。
なるほど相当、そこにいた58人は、相当、得しましたね。
そうそう。ほんで先輩方でしょ?いじめられる訳です。僕、トリをやらされるわけですよ。。「最後トリ出てくるやつ誰やねん!」っていう状態に会場がピリリとなるんです...正に地獄とゆうか 笑 で、あれ忘れもしないんですけど、峯さんがその自分の回ってるツアーのエピソードをまあ、いろんなことを中学生のように、3~4時間かけて僕に喋ってくるわけですよ。
打ち上げかなんかで?
いや違うんですよ。みんな打ち上げやってるのに、外のジャムサンズの前のドアのところですよ。寒い中でずーっと3時間。あの人ね、打ち上げ出ないから
そうなんですね
そう。だから向こうで打ち上げをやってるわけです。それ無視でずーっと3時間ぐらい喋ってる訳ですよ 笑 それをね、スタッフさんがずっと時計を見ながら見守ってる。分かりますかね?3時間ぐらい初対面の僕に、ずーっと個人的な気持ちとか、色々話してくれるわけですよ
はいはい
ほんで本当か嘘かわからへんけど、ユウテラスに『I DON’T WANNA DIE』っていう曲があるんですけど、『あいどんわなだい』って曲が銀杏BOYZにもあって。 『あの曲は爽遊くんへのアンサーソングなんだよ』って、またこの嘘かどうか分からんようなことを言ってくるわけです。そういうとこあるんですよ、あの人は。それでも、もう嘘でもいいんですよ。僕にとって会えると思ってなかったマイヒーローが3時間も、中学生みたいな話を延々としてきて『あれはアンサーだから』なんて、『聴いてるよユウテラスいつも』って、あんなこと言われると思ってない訳ですから。もう、嘘でも全然いい訳です 笑 そんなの言われたってだけで既に昇天してるから。うん。
そうですよね
だから、あそこから5年6年ずっと夢見てるみたいな。当然その時期って、さっきも話したように、もう僕らは全然鳴かず飛ばずな訳で。だけど、その夢みたいなふわふわはずっと続いてんです。気持ち、気分だけは。で、ほんと不思議で。その間もやっぱりバンアパをずっと追いかけてて、原昌和なんか僕のこと覚えてると思ってないじゃないですか。
なるほどもう1回対バンしたぐらいの感じだから
ほんでその後YouTubeとかも出てき始めたら、原正和の名言集とか、こう上がってきたりしてくるわけじゃないですか。それで新譜も追っかけてて。インタビューとかも読んでるから。どんどん彼が人気出てすごい人になってきてるの解ってるじゃないですか。でも僕のことなんか覚えてないと思ってるから、もう僕としては芸能人見てるみたいな感覚なんです。で、そんな感覚のまんま2013年に突然しゃぼん玉が割れたみたいに夢から覚めて。それでバンド解散して。誰とも会わなくなるわけです。当然、誰とも会わなくなる。
その頃、2013年まで割と活動ってどのぐらいのペースでやってたんですか?
いやあ、やってましたやってました。いやもうやっぱ減っても月7本ぐらいはやってました。
めちゃめちゃやってましたね。それは
だからはっきりいって暮らしはめちゃくちゃだし、借金まみれだし、バンドが終わって自己破産しましたし、ほんでやっぱりその喪失感ですかね。幼少期トラウマ由来のPTSDが調子悪くなって。それのリハビリが2年ぐらいかかりましたね 笑
それでまあライブもやり続けて、その間そのリリース自体、全部自主でやってたんですか?
多方面で知り合った人たちが相談のってくれたりしてましたけど。やっぱり上手くいかなくて、結局持ち出しで全部やってました。だから僕が借金して、メンバーも借金して、だからもう終わる頃、僕には何百万と借金がありました。
なるほど
もうだから、もう自己破産するしかない 笑 仕事もしてないし、家も追い出されたし。
その時はまだずっと今治に住んでたんですか?
いや、もう東京に来てました。最後はもう勝負かけて。今治にいたのって途中までで。初期の頃までで。それに三枚目のアルバムぐらいから僕、神戸に10年間住んでるんです。
今治ではなく神戸なんですね。なるほど
そう。神戸にいたから未だに神戸弁と今治弁が混じってて 笑 神戸がもう第二の故郷になって、そんなこと言ったらカナダとニュージーランドどうすんねんなんやけど、まぁ置いとくとして 笑 そっからまぁ、東京に勝負かけて出てきて挫折して
それがいくつの時ですか?
32歳で出てきて34歳で解散なんで
割と、出てきてからもうあっという間というか、結構早い
そう。でもここでまた人間関係の話になりますけど。その時に出会って『雄介は絶対やり続けるべきですよ』ってもう1人言ってくれた人が今のPAやってくれている鳥羽雄二郎。あの人が新宿SACT!の当時、店長兼PAで、雄二郎がもう酒飲んでは『雄介は続けるべきです。』そういう喋り方なんですけど 笑
おいくつなんですか?あのPAの
僕の三つ上です。
すげえ。見た目めっちゃ若くないですか。ちょっと年齢不詳だなと思って
そう。でも僕のお兄ちゃんの同い年なんで、だから三つ上です。
そうなんすね
だから僕のお兄ちゃんみたいな感じです。まあぼやっとしてるんですけど、いつでも僕の力になってくれて、ずっと支えてきてくれて、だから解散した後もめいちゃんと『まる』と。あの『まる』って、てんとう虫のちっちゃな子がいるんですけど、解散直後に伊豆の教会で出会うんですよ。それで出会って次の日には、『めい』の中のインナーパーソン、彼は要するに別の子になったんです。
ほう
めいちゃんというのはまたインタビューしてもらったら分かるんですけど、そういう何かを持ってる子なんで、本人が喋るかは分からないですけど、まあ、だから僕は今日はちょっとあまり深いところまで喋らないですけど、まあそれで一心同体なんだけど、『めい』と『まる』っていう2人が生まれたんです。男の子なんです『まる』は。だから別の子なんですよ。だけど一心同体
だから面白いっすよね。表記の仕方がね、『めいまる』って書いてあって
そう。でもそういう話って世の中的には実は不思議な話でもきっとないと思うんですよね。それでそのまま『紅男と虎椿』っていうのを2人で始めるんですよ。ほんで当時は政治の事とかも何も分からんし、今も分かんないですけど、僕、政治もあまり興味がないので。僕はミュージシャンが語るべきじゃないとすら思ってますし、あんなもの人を分断するだけで、僕らはその主義、思想を語るのが仕事じゃなくて、3分半の曲をやるのが仕事なんで。だからそんなことは本当思ってなかったですけど、ただ当時やっぱり悩んでたんでしょうね。
解散した後ってことですよね
そう。解散した後、なんかの救いを求めてたんだと思うので、やっぱり憲法9条を守ろうみたいなね、憲法フォークみたいな、全国であるじゃないすか。あれに誘われて
それは結構もう弾き語りとして?
そうです。それに出る名目で『紅男と虎椿』というのを作って、家族でフォークを始めたんですよ。賛美歌みたいなフォークミュージックを。ピアノとアコースティックギターで
なるほどなるほど。2人でっていう
2人と一匹で。それをずっと支えてくれたのが雄二郎と新宿SACT!の元オーナー小野さんって方で。
それは例えば?
リリースするのも遠征する時も、スタジオとしてライブハウスを使わせてくれたり、ご飯食べさせてくれたり、お金貸してくれたり、車を貸してくれたり。感謝しても仕切れないです。うん。
なるほど、それもまたすごい出会いですね。
そう。そういう風に周りの人達に身勝手にも支えられながら、何とか生きてくるんですけど、もう音楽はお仕事でやる気持ちが起きないから、まずは福祉の仕事を一生懸命頑張って。取りっぱぐれてた介護福祉士取って。淡々と乗れなかった筈のレールの端っこに小指の先一本でなんとかかんとか捕まりながら生きてました。ほんなら今度は弾き語りでよく神戸にライブに通うようになって、里帰りで。それでその時に久しぶりにユウテラスの歌を歌うようになると会場にだんだんだんだん人が増え始めて
それまではもうユウテラスの曲はやらずに、弾き語りはもう弾き語り用で曲を作って…
そうそう。ほんならだんだんみるみるお客さんはいなくなるんですよ。今でも悔しいですけどね 笑 もういったら閑古鳥が鳴いている 笑 だけどユウテラスの歌を歌いだしたら急に、例えばガガガの前田くんが長田大行進曲に誘ってくれだしたり、なんかみんながやっぱり『お帰り』みたいなムードになってきて。お客さんも来てくれだして僕の『君たち』が帰ってくるんです。僕、ファンを『君』って呼ぶんで『君』が帰ってくるな表現なわけです。不思議でしたよね。僕はもうあんな、もう言ったらトラウマみたいになってたからユウテラスって。5年間ぐらい歌わなかった。本当、歌わなかったんで。
え、歌わないってのはもうユウテラスの曲を?
歌わないです。エレキギターも今シールをバリバリ貼ってる水色のギター、ハレルヤくんって子を弾いてるんですけど、あれ僕、解散した日から新ユウテラスで、まあちゃん達とスタジオ入る日まで弦を張り替えてないんですよ。
触りもしないというか
そう。2つの気持ちがあるんですよ。触りたくないと、あの日を終わらせたくない。
まあそうっすよね。最後の名残の
そう
変えちゃった瞬間に、確かに
そう。だから、まあそれちょっとだけ話戻りますけど、まあちゃんにまさか会うわけですよ。まあちゃんからツイッターにメッセージがくるわけですよ。
突然くるんですか?
これ、峯さんの話させてもらった時と同じで。もうはっきりと僕は原昌和が大好きなファンの一人だったんで。まあちゃんの曲が大好きで。顔や声も大好きで 笑 本当にただのファンだからメッセージきた時、時が止まりましたから。
それ何に対してのメッセージだったんすか?
いや、僕がTwitterでバンアパのことを『こんなとこがいい、あんなとこがいい』って曲のリンクを貼りながらツイートしてたんです。それを見てくれたんだと思うんですよね。
なるほど
いやもう、だってそんなくらいの事で、本人からメッセージ来るって...
SNSの今のいい部分ですよね。めちゃめちゃプラスになる、繋がれるというか
そう。ほんで、まあちゃんがこういうことを書いてくるんですよ。『覚えてますか。あの日のサロンキティ。十何年前に対バンして』
さっきの話だと、逆に言うとこっちは覚えてるけど、そっちは忘れてるだろうぐらいの話を
だから、これでやっぱり今でもよく喧嘩になるのは、やっぱまぁちゃんからすれば、俺は友達だと思ってるのに、僕だってそう思うけど、やっぱどっかで僕ってそういう男子っぽいとこがあって、過去に執着するところがあって 笑 原昌和を、あの僕が一ファンとして『わーっ大好きだーーー!!』っていう原昌和をどっかで自分に残したがるんですよね 笑 ほんなら彼からするとすごく距離を空けられた。線を引かれたっていう...
なるほど
でもね?すっごい分かるんだけど、僕としてはあの時ずっと僕のこと忘れてるだろうなと思いながらも、あんなに大好きになった...今なんかも変わらずにそうなんですよね?峯田和伸、原昌和の一ファンなんで、僕は今も。テツシのことも愛しているし、前田くんのことも大好き。みんないつまでたっても憧れのマイヒーロー。だからやっぱり、僕が未だその感覚を残したがるから。彼とはたびたび衝突があるんだと思います 笑
なるほど。だから逆に言うと原さんからしたらもっと踏み込んでいいんだぜ?みたいな、なんかそんなファンだったとかそんなことはもうどうでもよくて、友達で一緒にバンドやってるんだから、そうそんなの関係ないみたいな感覚も原さんあるでしょう。ただ、でも大澤さんの中での自分の気持ちってのは、やっぱ峯田さんとか原さんに関してそういう思いもやっぱり、いきなりそれをね、無しにするっていうのはできないでしょうね。
できないです。だからやっぱまぁちゃんの前でも峯さんの前でも僕、同じ挙動不審になるんですよ 笑 自分だから自分のことだけは分かるんです。うん。何かっていうと、急にまるで夢見てるみたいな、本当これ嘘でしょ?って気持ちになる時が今もある
この人と話してんだみたいな
そうそう。未だにありますそれは。だから、慣れないですね。あんまり本人の前で言っちゃいけないんですけど慣れないですね 笑 だからやっぱりみんながまあちゃんを愛する気持ち、峯さんを愛する気持ちはもう、僕も同じように分かります。たぶん同じ気持ちだと思います。だから僕はある意味ファンの人たちと気持ちを共有できてる、稀有なミュージシャンなのかもしれない 笑
ファンの気持ちを知っているミュージシャンで、バンドに従えてるみたいな
そう。だから『君』は僕はもう『君、君』言うと読まれてる人が分からないので、敢えてファンという言い方しますけど、ファンの皆さんからすれば『テメエ、なんだその態度は』って誤解されるのも『何を余裕かましちゃってんの?』みたいに見えちゃうんだろうなって。そうじゃなくて同じなんですよ。なんか『俺は側にいるから君たち違う』じゃなくて『側にいてさえ君たちと同じなんだ』っていう 笑
なるほど、まあそれこそまた二つのね、こう二面性を持ってるみたいなところでやってるとね 笑
でもこれって掛さん、分かってもらえるかもしれないですけど、1回解散して、自分の人生賭けてきたバンドを終わせしてしまったことが原因だと思います。
なるほど
自分が同業者で、同じ線上でバカやってるって意識が僕に無くなっちゃったんだと思う。
そうか1回、戦場から離れたわけですもんね
そう。しかも僕には話した通り、PD、前述のパニックディスオーダーっていうものがあって。宇宙飛行士だったら、漫画 宇宙兄弟にでてくる難波日々人なら、もう宇宙に行かせてもらえない危機のやつですよね 笑 だけど僕はなぜか今そうやってまぁちゃんといて、これはもう包み隠さずに言うべきですけどそもそも、まぁちゃんがいなかったら戻って来てないですし。うん。あの時、2018年に峯田さん、前田くん、山本、メガくん、そんで愛媛の友達、仲間みんなが、あの時に僕と時間をあのような形で共に過ごしてみようって選択をしてくれなければ、この圏に戻っては来てないと思います。
その峯田さんってどういうきっかけでどういうあれ何ですか?
僕、お手紙書いたんです。2018年で豪雨災害が愛媛県であって、僕の先輩がやってる楽器屋さん、そこの娘さんが同級生で、僕の先輩の奥さん、その楽器屋さんが豪雨で流されて機材が全部水浸しで泥だらけになって、もうそれ何とか力になりたい。こういうことが起こったんだと。それで、ちょうど音楽やってるへ人風当たりがSNSはやっぱり強い時期だったんですけど、みんなこうゆう思いを持ってやってるんだっていうのを伝えました。だから復興の力になりたくてイベントを大州で開催しようと考えてますと。そのお手紙読んで来てくれました。
それもメールとかじゃなくて本当に
いえいえ。メールで送りました 笑 でも僕、お手紙書いた気持ちでって話ですね。ガガガのギター山本くんが仲介してくれて
実際それでその時に峯田さんが来てくれたんですか
1行でした。返ってきたの。『行きまーす。ギャラ、交通費要りません。』だけ
カッコいいっすね。
カッコいいです。そういう人なんです、あの人。まぁちゃんもそうゆうとこ本当に同じ。あの二人が兄弟なんじゃない?笑 それでそうそう、あの時は僕から夕方まあちゃんに電話したんですよ。ドキドキしながら、『まあちゃん、来てくれん?』と。『で、来て怪談やってくれん?』って、『馬鹿じゃないの』って言われたんです。『被災地で怪談って馬鹿じゃないの?』って
ちょっと常識的だったんですね 笑
そうそう 笑 ちょっと考えろと言われて。叱られた後に、あの人って最後優しいでしょ?叱った後に『いいよ。』って。『じゃあなんか考える』って。それでしばらくもういっぺん後に電話したら、『地元のやつらはお前が歌を歌うの待ってんだよ。じゃあユウテラスしかねえだろ。じゃあ、新ユウテラスだな』って
へえー
いやでもドラムいないよ?って僕が言ったら『ドラムは阿部さんいいんじゃない?』ってまあちゃんが言ったんです。『ピアノはめいまるもいるじゃん』って。『でもベースいないんだよね。』で、『まあちゃんがベースを弾いてくれるんだったらじゃあやる』って僕が言ったんです。そしたらまあちゃんが『OK』って。『じゃあ、これで新ユウテラス生誕だな。』って。
なるほど
言いそうでしょう?笑
言いそう。今の言い方で言いそう 笑
そうそう、その時ですよ、この新ユウテラスって言葉が生まれたの。エヴァンゲリオンだっていう人結構多いんですけど、違うんす。。あれ、実はまあちゃんなんですよ 笑 新ユウテラスって。
なるほど、新ユウテラス。だけど本当に面白いっすね。巡り合わせじゃないですけど、なんかなんとも面白いですね。
だから僕が確かに発起人ではあったんですけど、そうやってまあちゃんは同級生なんだけど僕のお兄ちゃんって感覚もあるんで僕の中で。やっぱ叱ってくれるし、やっぱり僕は結構こういう感情的で奔放すぎる人間なので 笑 良く言えば非常にエモーショナルな 笑笑 だから、やっぱり彼からすると心配になるとこいっぱいあるんだと思うので。。それを僕は一方的に喧嘩って言ってますけど、周りから見たら僕は叱られてるだけなんです 笑 まぁちゃん、峯さんっていうお兄ちゃんが僕をもういっぺん、宇宙に行かせてくれた、パニックになった宇宙飛行士を月に立てるように仕向けてくれたみたいな。うんうん。
そうやってこう、やっぱり誰かが必要としてくれてたってことですよね。やっぱりこう積み上げて、だって、例えそれが世界中で1人じゃなく2人なのかは分からないですけど、原さんもその時の出来事を覚えてるし、それこそ大澤さんの周りにいる色んな人たちも、やっぱ大澤さんがやってきたことっていうのがこうね、誰かしらやったらいいじゃんっていう軽い一言かもしれないですけど、それってすごく残っていたってことですよね?
そうかもしれないですけどね。でもそれはやっぱファンのみんなも含めて、そのユウテラスを歌いだした頃から、ずっと支えてきてくれたんで。よく周りから言われるように、数にしたら少ないんです。もちろん数で考えれば、確かに。うん。だけど数じゃないって僕が言うのは、その一人一人の顔が思い浮かぶから、浮かべちゃうからなんです。僕は。その人たち、子たちがどんなふうに喜んで、どんな思いで僕が歌ってるのをあんなに一緒になって、声出して歌って喜んでくれたか。あれを見てると、もう数感情で考えたくなくなっちゃった。本当に何かが自分の中で変わっていきました。なんかやっぱりそれってやっぱり本当、周りの人のおかげ。ただ、僕はやっぱり『風立ちぬ』を出した時、まだ宇宙...なんていうんだろ?ロケットが打ち上がって、その重力の中で、その、PDが出ないかどうか?をただ怖がっているだけみたいな。。すごい不安と自信のない中を必死で宇宙に向かってるみたいな世界でした。
結構不安な部分がやっぱりね。久しぶりに行く宇宙で、しかも当時とはまた違う宇宙戦争というかね。全然行ってないしみたいな。
そう。ほんなら例えば今のファンの人たちって僕なんかよりも時代の中ずっと生きてるから、僕なんかよりも進んじゃってるわけですよ。ほんなら彼彼女たちは、もう月に住んでるムーンレース。もう月の民みたいになってるわけですよ。だからそのムーンレースの人たちからすれば『月では重力はこれぐらいだからこうやって歩くんだよ?」みたいに僕にはSNSが見えちゃってピクってなっちゃうっていう状況 笑
逆に俺の方が最初に月に行ってた時とら技術力が全然違うみたいな。
はい。だから僕は変な話、ISS宇宙国際ステーション大好きなんですけど、ISS国際宇宙ステーション行くことが宇宙飛行士の全てやった時代の話がユウテラスが一度解散するまでの世界の話で 。。
帰ってきたら今やもう火星が当たり前だよ?みたいな 笑その行く行き方すら違うよ?みたいな 笑
そう 笑 だから掛さんの話してくれる業界、例えばプロモーションの話や製作の話も僕にはもう『今回の宇宙飛行士ね、JAXAが募集してるやつがアルテミス計画って最初から月に人を送り込む前提の話』みたいな。。もう言ったら『なになになに?え、宇宙ステーションだけじゃないの?学歴すら不問?!えーっ!!』みたいな 笑 もう最初パニックです。だからもうよく分かんないし、途中で掛さんに噛み付くし、もう意味分かんないし自分が。だけど、ようやく最近 『そうか。あ、だから月に人は行けたんだ。で火星目指す自信になってるんだっていうことがやっと分かってきて。うん。だから今僕は自分が自信持ってミュージシャン、要するに宇宙飛行士と僕は同義だととってますから。それぐらい価値のある、人類の文化に貢献してる職業だと僕は思っているんです。ミュージシャン、音楽家って。だけど、ミュージシャンに僕戻れたかどうかは今後、来年、結局はこっからのライブや作品を通して、自分がやっぱり、今までは皆さんのおかげ、お世話なってきたけど、今度は自分の力で足で立って、証明していかないといけないんだろうなって。それが恩返しになるんだろうなって。で、そうやって僕が『あ、こいつはミュージシャンだ』と、『宇宙飛行士』よろしくな『ミュージシャン』なんだって認めてもらえたときに、やっとある人たちにとっても、ファンのみんなにとっても、ちゃんとした御礼、恩返しがちゃんと出来るんじゃないかなって。
確かに
だから、今は確かにリリースしてすぐ数字が出なかったり、ほんと自慢にもなれなくて申し訳ない、周りで協力してくれてる方、そうやって賭けてくれてる人たちに本当に申し訳ないし、例えば良くない曲だな、がっかりだな....と思ったそのファンのみんなにも申し訳ないんですけど、とにかく続けること、リリースし続けること、それが僕が、僕が今の素敵な5人と1匹、まあちゃん、めいまる、おねちゃん、かみくんと、こうやって掛さんたちがいてくれてる中で、やらせてもらってることに対して、自分がミュージシャンだって認められることが一つの、マナーとゆうか。。もうこれは試験受けてるみたいな 笑
そんなこともないですけど 笑
もちろん 笑 でもやっぱり試験というのは宇宙飛行士としてそこに行けるか?を選抜する形で行われる訳で。ミュージシャンとして戦場に戻れるかどうか?の試験を受けている感覚は今すごくあります。うん。この試験に受かったら、きっとみんながなんだろう。。安心してくれる?やっとワクワクしてくれる?だから、今その段階じゃないかなと思ってるんで、まあいつまでもPDだなんだって言ってるだけな訳にもいかないし 笑 やっぱりある意味では『大人抹殺って言ってたのに大人になってんじゃん』みたいな 笑 なんかそんな状態にはなっちゃってるけど。でも1個だけ答えを見つけたんですよ。
うん。
いわゆる教則本的な大人にならなくていいってこと!あの頃、自分たちが憧れた大人になればいい!と思いました。
そうっすよね。いやいいっすね。なんかいいっすね。
そう!でもそうでしょ?いわゆる大人じゃなくて。あのとき憧れた大人、こうだったらいいのに!!って大人になりたいと思ったんです。
なんか俺たちが青春した頃から見る大人ってやっぱ、こう敵としての大人っていう意味合いがあったじゃないですか。
ありました。
けどまあ世間的に見て、誰がどう見ても大人の我々が思う敵じゃない大人っていうかね。かっこいい大人になること。大人って言葉、俺も嫌なものではないとは思うんで、すごくいいですよね。
でぇ...ちゃんと立ちはだかりたいですよね。。今の今度、若い奴らにとって、倒したい敵として、ちゃんと認めてもらえる大人でありたい。逆に言えば敵とか言われながら"ちょっとかっこいいじゃん..."って、捨てゼリフ吐かれる大人にちゃんとなってやろうとゆうか。はい。
気にも留められないよりは、逆にムカつかれるぐらいの方が、そいつも気にしてたんだなぁってゆう 笑
そうですそうです。でも僕らの世代ありますよね?立ちはだかってやるよみたいなとこが。だからユウテラスをやる意味は、やっぱりやっぱ大好きで憧れた原や峯さん、みんなを1回だけでもいいから、やっぱり...やべって思わせるのが僕の恩返しかなと思ってます。今は。でも、トータルで見たら勝てないですから 笑 だけどこの一試合なら、全力注ぐのはですね、出来ますし。それがファイターの仕事じゃないですか?
ええ。正に。
だから対戦が決まったら、負ける気でリング立つんじゃなくてですね
そうです。もちろん。
絶対勝ってやると。どんな強敵でも。ずっと殴られても。この癖、このタイミングで、一発必ず入れるかも知れないから。それだけを虎視眈々と狙い続けるってな戦い方するじゃないすか?
そうですね。うん。
やっぱり僕が勝てる勝機は.ああいう人たちにはそれしかないですし。だから全曲では歴史では勝つことはできなくても、たった1曲で勝つことはできるかもしれないから
いや。。すごく前向きですよね。いいですよね。。
でもね?以前は、こんな前向きやなかったんですよ!切腹とかしようとしてたんですから 笑
そうですよね。いやだからそこがまぁ俺は結構ユウテラスは何かやっぱその"生"っていうのと、あと結構優しい曲、優しさが出てるなっていう。。だから、やっぱそういうのって逆に言うとその麻薬みたいなもんで。観てる人の方が振り幅がデカくなんのかな?って。
うん。でも、やっぱりなんていうんですか?楽しくだけ!っていうことは僕には難しいかもしれないですけど...優しくはありたいですから。。
そうですね。何か優しさがすごく俺は音楽から滲み出てんなっていう気はしましたね。
そんな優しいだけの音楽が、ちょっとへなちょこな音楽が、まさかアジアンゴシックレーベルの仲間で居させてもらえてるっていうのは、何か素敵だなって。うん。
そうですよね。。だからなんかこう、レーベルっていうより、だけどやっぱりこうバンドってすごいパワーがあるなと思ってるんでやっぱり。作り出して、そして、赤の他人同士で何か一つの...ねぇ。アンサンブルを作るのって、やっぱ簡単なことではないと思うんですよね。なんかそうですね。それをだからまた1回解散して、またもう1回色んなきっかけがあって、作り上げて、ライブも始めてリリースもして。。ていうので、ある意味大人になってからもう1回やることの凄さっていうのは、俺すごい尊敬してる部分ではあるんで。
いえいえ。僕らは音楽性が所謂流行とは少し違ってたりしますから 笑 本当に好きなことしかやってない 笑 でも今は素直にやりたいことをもっと、もっと純粋にやれるようになってきているので。もっともっと誰もやらないことをやってやろう、聴いてすぐユウテラスって解る音楽音楽やってやろうっていう。そこですね、結局は。うん。
なるほど。うんうん。
それらを、めいまる、お姉ちゃん、かみくんとは勿論やけど、原と作るっていうのは僕にとってまた違う魔法があって。
はい
ステージとかスタジオの中で、ある瞬間にお互いの目が合った時にピリッとくるんですよ。お互いにそれを意識してたり覚えてたりして。
ほぉ。
あれがある間は、僕たちには無限の可能性があると思ってます。うん。
うーんうん。それは本当に面白いですね。だからそれがバンドの魅力とゆうかね。。だからやめられないとゆうか 笑
そうなんですよね。。知性でやってないんですよね。もう何か霊感みたいな 笑
人と人との相対的な、何かそういうことですよね。なんかバチっと来る瞬間みたいな
そうそうそう。で、こっからが最後。このインタビューの最後に多分なってくると思うんですけど。
はいはい。
僕がなんでこんなに掛さん大好きなの?って話なんですけど 笑
いえ。。そんなことは...あはは 苦笑
単純にびびびって。
はい 笑
俺はだから、掛さんに俺嫌われても、俺がびびびを伝え続けるから。
ははは 笑
もう俺と原って、ここに関して勝手なんですよね。お互いが相思相愛かを確認する前に"俺が好きだ"で終わるんですよね 笑
ははは 笑 けどそれ伝えてかないと伝わらないでしょうしね 笑 
本当に馬鹿野郎ってゆうかね 笑 僕と原の唯一の深い共通点は、自分が好きと決めたらテコでも動かないとこ。
逆に言うと俺は、ユウテラスがそれを強さにして、やっぱね、なんかこれで終わっちゃうんじゃなくて、やっぱりずっとこうなんかね、その謎のテコでも動かないで、やってってもらえたらなんかこう、面白いことになるんじゃないかな?とは思ってるんで。
はい。だからこれからも、まぁ多分、僕とまぁちゃんはどんな人がいても、選択肢が掛さんなっていくでしょうから 笑
ぶわはははっ笑
掛さんとしても迷惑以外何物でもないっていう 笑
ちょっと強烈な2人 笑
迷惑臭しか、しなくなってくるっていう 笑
ぶははははっ笑
でもまぁ最終的には本当そうなんですよ、誰とやりたいか?なんですよ。
そうっすね。
誰といたいかっすね。
いや正しく俺も、逆に裏方としてもそうですね。やっぱ売れてる売れてないじゃなくてなんか、ある意味バンドアパートとかユウテラスとつるんでたら何か面白いことあんじゃね?っていうモチベーションそこですよ。そこですよね。
いやもうそれ面白いとずっと思ってもらおうと思ったら、僕らもテコでも動かない!!くらいしか、他に能力がないですからね 笑 意外とそうで。うん。
だからみんな同じですね。俺は音楽作れないけど、何か違うところの何とかこうなところで、ユウテラスはもうかっこいい音楽を突き詰めてやってもらうみたいなところなのかもしんないですけど。
でも、ある日絶対出てくるんですよ 笑 今度は昔の奥村さんみたいに、掛さん!なんか曲名ないですか!?って僕に掛さん言われたら"これでいいんじゃないすかね?"って言ったのが意外とファンのみんなが最高だとか言ってくれたりとかね!
苦笑
いや本当。でもそうやって、意外と才能あるって言われてる人の力だけでできてないのがバンドだし。。
そうですよね。
ファンの人たちの力ってめちゃくちゃ強いですし、だからバンドってある意味、ファンの人たちや裏方と呼ばれるチームの人たちも含めて、バンドなんですよ。
うんうん。
例えば、音を録音してミックスしてくれる速水さん。マスタリングでまとめてくれる橋本さんもそうじゃないですか?ユウテラスには必要不可欠すぎるお二人やし。
そうっすね。良いバンドには良いチームがちゃんと付いているなっていう感じがありますね。ようやくコロナも落ち着いてきてくれて、もうちょっと良い状況になってライブとかできたら良いなって。
そうですね。でも一本一本大事に宝物の様にやっていくバンドもいても良いと思うんですよ。焦ってバンバンやるんじゃなくて。一期一会の中で一つ一つを手渡してくみたいな。観てくれる、聴いてくれる人にとって、人生のターニングにしてくれるのがライブだと思うんで。一つずつ大事に作っていくバンドがこの年齢の人間の集まりだからこそいてもいい。若い子に張り合うだけじゃなくていいと想うので。
そうですね。
だから掛さん!そこまでは迫っていかないんで宜しくお願いします 笑
ぶはははは
あの、ムチャブリはさすがにしないので 笑
いや...ありがとうございます 苦笑
でも今の時点でちょっとすでに無茶ぶりのインタビューですけど笑
ちょっとこれで、なんかいい感じになれば 笑
もうそろそろ掛さんが時間なんで終わりですね 笑
すみません 笑 だけどまた今度ね、大澤さんと原さんのインタビューを多分最終章に入れてきて。
でも、こうなるとあれですよね。。僕は普段、爽やかに遊ぶと書いて"爽遊(さわゆー)"でやってもらってるんですけど。爽遊×原昌和×掛川正義も!
俺もっすか 笑
アジゴシ対談 笑
はははは 笑 そういうのもね、アリかもしれないすね 笑
結局、最終的にはこのインタビュー通して、そこも興味持ってもらえたんじゃないかなって 笑
はぁ。。でもそうであればなかなかね、こう...プロじゃない人が取ってるインタビューの様子なんで 笑 あはは
でも完全にプロの人がプロじゃないと言っちゃってますよ?ライターさんじゃないだけですから 笑
いやいや...まぁまぁ苦笑 せっかくなんで面白くなれば 笑
そうですね 笑 だから第1弾は、何か我々の井戸端会議で。はい、いつもの感じで終わりましたみたいな 笑
ありがとうございます。最後は大澤さんに締めて頂いたってことで 笑
他のみんなが何喋るかビクビクしながら
そうですね、楽しみに。
お姉ちゃんとか、まぁちゃんとか喋ったら、さわゆー嘘ついてるやん?とかならないすかね?笑
真逆のことになってるとかちょっと楽しみかも知れないです!ぶわははは 笑
その時はもう、どしどしクレームをいただいて 笑 あいつの記憶力当てにならん!話盛りすぎや!アイツな?すぐ盛るねーんとか 笑 じゃあ...すいません!皆さま、長々と読んでくださってほんまにありがとうございました!
はい。どうも失礼します 笑
はいー。
爽遊 (さわゆう) ・大澤雄介
昭和53年5月20日 愛媛県今治市生まれ。田舎育ち
賛美歌みたいな日本人音楽家
牡牛座のA型 / 介護福祉士 / 帰国子女
夢は宇宙飛行士。月に行く。
賛美歌みたいな四人と一匹「ユウテラス」で歌とギターを担当しています爽遊です。ユウテラスのメイン作詞・作曲家です。爽遊ソロワークスでは制作、サウンドエンジニアリング、配信、PRまで自分自身で楽しく研究しながら担当しています。光を。
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