Diary
2003.11.1211/12 はらの日記2
福岡から、鹿児島に移動しまして、沖縄行きのフェリーに乗り込んだわけですが、乗り口から、すでに不穏な空気が漂っていました。
青森から、北海道に行く時のフェリーの中で、STAFFのカケが窓の外から寝台室を指差して、
“原さん沖縄に行く時は、こういう寝台に寝て行くんですよ。”
と言っていて、”沖縄行く時はタコ部屋じゃないんだ?”と聞くと、
“さすがに24時間フェリーに乗る訳ですからね。寝台じゃなきゃやってられないです。”
その時の情景がありありと浮かんだのであります。
フェリーの乗り口はまるで、違法入国者が、強制送還されるかの様な雰囲気で、疲れた男達が重い荷物を抱えながら、無言で階段を昇っています。
俺達みたいな、若造が寝台室に泊れてこの人達はタコ部屋なんて、可哀想。
と思いながら自分達の番号の部屋に向かうと、そこはタコ部屋でした。
しかも、死んだ目の親父が、ひしめき合い、1メートル幅の間隔に親父二人という、煮しまり方です。
狂いドゥー煮し、という言葉しか浮かびません。
その部屋を見た瞬間に、カケのヘラヘラした笑顔が脳裏を霞め、自分の中で確かな殺意を感じました。
私の考えたカケへの制裁はタッパーに糞を入れて着払いで自宅に送るというものです。
タッパーは100円ショップで買いました。
そして24時間かけて沖縄に着いた訳です。
船内で、今日のホテルはシングルだと聞いていましたので、1人、己のナニを擦り上げる事を決意しそれだけを、心待ちにし、24時間耐えてきた訳であります。
着いたホテルは、私達9人に対し、シングル2部屋、3人部屋1、4人部屋1、という予想を遥かに超えたものでした。愕然としました。”オナニーができないじゃないか”
熾烈なシングル争奪バトルの末、私は4人部屋に決定しました。部屋に入り愕然としました。
ベッドが一つと二段ベッドが一つ、しかありません。その横の通路の様な所に、プールサイドに置いてある、ビニールベッドが一つ申し訳無さそうに、置いてありました。
熾烈なベッドバトルの末、私は、ビニールベッドに決定しました。なぜ、部屋の中で、1人リゾート感覚を味わなければいけないのか、またカケの顔が浮かんできました。
一応シングルも観てみました。今の私からみればブルジョワの泊まる、豪華な一室ですが、通常の神経で
判断すれば、一言、「ドラクエの宿屋」です。
俺といえば、その「ドラクエの宿屋」に憧れて、部屋の廊下に置かれた小さなサマーベッドを、1人見下ろすばかりであります。
カケの制裁の件ですが、カケこれ観てたら一言いっとくけど、本当に俺はやるからな。
やれる男だからな。品名にただ、「くそ」とだけ書いた着払いの、クール宅急便が届いたら、覚悟しろ。
品名に書いてある言葉は、フェイクじゃねぇぞ。
以上です。
原”エクスキューショナー”昌和