Diary

2009.3.12009/03

木暮です。
2月28日
アベンジャーズを観に代官山ユニットへ。ツアーファイナルらしい力の篭った演奏がカッコよかった。ザ・レーザー光線はグリーン。
ユニットで働いている昔の友達とも久し振りに会って話す。今では一年に一回会えばいい方だが、聞けばカシス・オレンジで顔を赤くしていたあの子も日本酒を飲むようになったと言う。歳月というものは確実に過ぎていくのですね。
打ち上げを二軒目で中座して、酔い醒ましに歩こうと思い、ムーディーマンを聴きながらゆるゆると深夜の恵比寿から渋谷の方へ・・・歩いているとクリス・ペン(R.I.P.)a.k.a.野田つよしから着信があり、合流して何故か日本酒を飲み、完全に酒に飲まれる。ぐるぐるした頭で事務所近くのK宅へ乱入。寝床を奪い、浅野いにお「ソラニン」を読みつつ就寝。

3月某日
幡ヶ谷の隠れ家的な焼き物屋でトシロウ君と飲む。四方山の話を肴に、麦酒や日本酒、酢橘サワー。ちょっとした昔話や経験談など一つ一つがとても面白く、あっという間に時間が過ぎ、2軒目を出る頃には自分で酔っ払っているのがわからないくらい泥酔していた。何故かシェルターへ行ってWEDNESDAYの打ち上げに合流。タガミさんやタカヒ老、あっ、そういえばリディムの面々がいたなあ、というくらいぼんやりとした記憶。いつの間にかTDC氏が隣に座っており、いつ来たんだろうと疑問に思って、よくよく考えると自分で電話して呼び出したのであった。本当にすいません。明け方に皆で王将へ行き、餃子を食う・・・夢と現実の狭間をさまよいながら。店の奥の方で暴れていた酔漢をトシロウ君が静めるのを皆が見ている、という光景がこの日の最後の記憶である。

3月某日
昼から渋谷で待ち合わせて、ホリエ君とルイ・ハシモト・ロンドン・パリスの写真展へ。近くのスーパーでシャンパンやチーズなどを買い込み、控え室みたいな部屋で仏人気取りの昼餉を洒落込む。写真展は盛況で、忙しそうなルイをホリエ君とからかいつつ写真を見たり、チーズを食ったり。二人で大いにヘラヘラする。ent.いいねー。夕方にシンペイちゃんもフラリと現れて、モンスターハンターの話。プレイ時間数が俺の約2.5倍であった。
その後、スタジオで荒イとバウハウスのジャケットのラッパを吹く人の真似をしていたら、夜だった。

3月某日
ジョージと一緒に名古屋のアート・スペースで行われるセッションに参加。ちょうど暇していたタケシも連れ出して、東名高速を西へ。
名古屋の市街から少し外れたところにあるその場所はとてもいい雰囲気で、部屋の真中に据えられた3台のドラムセットとそれを囲むアンプ群を使って、仕込んだネタや即興のセッションを繰り広げる。チカチカの持って行き方とフラッシュ、ノイズコンクリート+ショウタ君もそれぞれ刺激的だったが、最後にやったリズム3人とギター、ベース、ノイズの即興演奏が最高に気持ちよかった。終演後、竜巻太郎氏が開発した天井に逆さまにぶら下がりながらドラムを叩くシステム、その基本姿勢に挑戦したが、風に揺れる干し柿のようにくるくると回ってしまって失敗。
ソファーでだらだらしていた時にジュリ君とショウタ君が適当にかけてた音楽が心地よく、ホルガー・シューカイのクール・イン・ザ・プール
なんかもかかったりして、今度行く時はゆっくりしたいなーなどと思いつつ帰路へ。帰りの車で、ジミヘンやツェッペリン等の面白話をジョージ先生から色々聞く。タケシが意外とその辺に詳しくてウケた。そして話が90年代HIPHOPに移行した瞬間、タケシは寝ていた。しかし、俺は知っている。彼が中学生の頃、クリス・クロス風に衣服の後ろ前を逆に着ていたことを・・・。

3月某日
PSPを忘れた俺が死んだ目で車外の景色を眺めていると、「えーちゃん、俺のモンハンやりなよ」と言って覇羅が彼のPSPを貸してくれた。マイルス曰く、天国まであと7歩・・・飛行機を降りればそこは確かに異国の地なのであった。台北は東京より少し暑く、まるで夏を先取りしたような気分の一行は、ガイドの小野と共に勇んでナイト・マーケットへ。「ヤキメシ、ヤキソバ」と言う呼び込みにつられ、一軒の店へ入る。バンドのメンバー+4人という大所帯だったので、テーブルには十数皿の料理が並んだ・・・のだが、チャーハン以外全てが不味く少しびっくりする。織田無道曰く、「こんなことってあるのかよ!」。ショックを受けた一行はその場で解散、自由行動となる。深夜の街をへらへら歩くのが好きな俺は、ホテルまで1時間の道のりを歩いて帰る。一見日本と似ていても、路地裏にはやはり異国情緒が漂っており、「嗚呼、九龍・・・感傷的 in 台湾」とつぶやきたくなるような建物やバイクの多さに目を見張る。
翌日、ライブハウス THE WALLのスタッフに屋台の飯が不味かったことを話すと、「あの辺のお店はよくないですね」とあっさりと言われた。
ライブは最高だった。情報も少ない中たくさんの人達が観に来てくれて、とても楽しんでくれていた。こっちが驚く程の歓声が何度もあがって、嬉しくなる。ライブ後、打ち上げで行った飯屋の料理は出てくるものがほとんど美味くて、前日との落差に驚いた。
翌朝10時にチェックアウトし、空港へ向かう。台湾に着いた当初から、その街並みにどこかノスタルジックな既視感を感じていて、色々記憶を探っていたのだが、碁盤の目状に交差する広い道路、建物を彩る都会的なアルファベットと、赤や黄色の漢字の看板の混ざり方、反射する陽の光・・・タクシーの車窓に流れるその景色は、記憶の中の94年、バンクーバー、リッチモンドの夏と似ていた。そりゃ、感傷的にもなりますな。
最後にこの場を借りて、THE WALLのミユキちゃん、ファン君、オレオ君、スタッフの方々、観に来てくれた台湾の人、わざわざ日本から足を運んでくれた人、本当にありがとう。