Diary
2010.3.12010/3
木暮です。
元旦
明けましておめでとうございます。
10年ぶりくらいに祖母の暮らす土地へ、正月の挨拶に行く。おばあちゃんの髪が真っ白で、とても綺麗になっていた。久々に何人かの親戚とも会い、いとこたちの成長っぷりにびびる。僕の親戚は学者や教師、公務員といった職業の人々が多く、さらに皆あまり酒を飲まないので、こうして親戚で集まっても酒盛りのようなことにはならない。例外はうちの家族だけである。
居間で茶を啜りまくった後、夕暮れの田舎町を散策。冬の暗い山並みをバックに、歴史を感じる蔵の前で佇んだりしてみる。家と家の距離は十分にあり、古い建物と新しいものが混在している。頭の中に「三国志V」の冬の音楽が流れる。亡くなったじいちゃんと昔よく歩いた裏山の道は、今ではあまり人も来ないのか、すっかりけもの道のようになっていた。山道の途中にある、近くを通る高速道路を見渡せるひらけた場所を見つけ、地面に半分埋もれたボロボロの軽トラックを横目に一服。地面に1メートルくらいの枯れ枝が落ちているのを見つけて、そういった棒切れを刀代わりに振り回していた小学生の冬休みを思い出した。吸殻は携帯灰皿に。
1月某日
今回こそは録音する前までに曲作りましょう!と、もはや呪文のようになってしまった言葉。またしても録りながら曲を作る。皮裂キが笑いながら、「バカ過ぎる!」と連発するのがレコーディング序盤だとしたら、覇ラが「くるうくるう」と真ん中のブースから飛び出してくるのがレコーディング終盤である。その頃には全員の笑いが乾ききっている。次こそは録音する前までに曲を作りたいです。
2月某日
ミックスだけを残して rega と遠征。大阪で観たモーモールルギャバンのライブはオリジナルな感じでカッコよく、メンバーの皆とも話したかったのだけど、風邪で頭がぐるぐるしていたので、打ち上げにも出れずにホテルへ。酒ではなくポカリスエットを飲みながら熱い風呂に一時間つかり、ベッドへもぐり込んだのであった。
続く名古屋ではマウス・オン・ザ・キーズと再会。体もほぼ復調していたので、川崎君の複雑なのに力強いドラミングを堪能し、「サッ」と自分達の出番を終え、そしてrega でゆらゆらと踊る。レガの演奏は本当に楽しんでいるのが伝わってきて、観ているこっちも楽しい。
その夜の打ち上げは、レコーディングを挟んで一月半ぶりだった上に病み上がりだったので、ビールがやたら美味かったなー。
3月某日
Surface の録音でメンバー全員本当に懲りたようで、早くも皆で新曲作りに励む・・・ためにまずスタジオでの談笑から始める。気がつくと原君が食いかけのどら焼きを残したまま、いつのまにか忍者のように消えていたのであった。
宮下曰く「画期的なリリース日後追いプロモーション」の一環として、PV撮影に臨む。カメラを操る背の高い男が日芸の同期生で驚いた。彼の話によれば、Sという共通の知人がNHK「坂の上の雲」に出演していたらしく、その話で大いに盛り上がる。
3月某日
錬気ゲージを溜めるために京都へ。夜の雨の中、ライトアップされた高台寺周辺や祇園界隈を歩き、八坂神社で焼きたけのこを食う。その後、ウーピーズの山ちゃんとコドモ店長・キョウヘイ君、さらに同日に偶然京都に滞在していた元BDBのマスオ君も交えて梅ハイボールを飲む。普段ない組み合わせだからか話題も新鮮で楽しかった。
今では国境を越えたダニエルズであるモック・オレンジの1stアルバムを僕が手に取ったきっかけは、タワーレコード渋谷店の試聴機に「BDB有松氏オススメ!」というポップが張ってあったからだ。
次の日、まだ一度も訪れたことのなかった嵐山まで足を伸ばす。オフシーズンだったので、保津川にかかる渡月橋とその向こうの山並みを一望できる部屋に滞在することができた。小生意気にも部屋出しの懐石料理を食い、いちいち「うん、うん」とうなずきながら日本酒を飲んだり、海原雄山の真似をして、「む!」と唸ってみたりする。そして露天風呂につかり快眠・・・するはずが、神田うのに美肌について延々と説教される夢を見て、夜中に目を覚ましてしまう。仕方なく窓辺で一服しながら、真っ暗な川面とさらにその向こうの、吸い込まれそうなほど暗い山肌を眺める。電灯のなかった時代の闇は、現代では考えられないくらいの恐怖と畏怖と想像力を人々に与えていたのだろう。稲川淳二曰く「やだなーこわいなー」・・・。流れる川の音を聞きながら思考も流れて行き、いつの間にか眠っていた。
3月17日
「The Surface ep」を手にとってくれた皆さん、本当にありがとう。