Diary

2010.8.12010/8後半

木暮です。

『栄一木暮とTDC氏による酔いどれ会話』

K 「・・・試し録りしていいですか?何年か前にタカシ君とやった時なんか、まだテレコでしたからねー、ICレコーダーって初めて使うからよくわかんない んですよ・・・あ、でも録れてるっぽい。じゃあ、根掘り葉掘り聞いていきますねー。まずドラム始めたのっていつ頃ですか?」
T 「中1。13歳の時、吹奏楽部で。」
K 「あ、じゃあマーチングみたいな基礎から?」
T 「全然 (笑)。そんなガチガチの厳しい部活じゃなかったから、スネアだけでルーディメンツを延々とやるみたいのは無くて、いきなりドラムセットに触れたんだよね。」
K 「すげー。いい部活っすねー。」
T 「まあ一応、スネアで4・6・8・・・ってやってくのとか、二つ打ちとロールとか教えてもらったけど、そんなもんだったよ。」
K 「へー。吹奏楽部ってなんか低学年は基礎練習のみ!みたいなイメージあるけど、そうでもないんですね。曲ってどんなのやるんですか。」
T 「歌謡曲。あと昔のディスコっぽい曲を吹奏楽用にアレンジしたやつだったり。」
K 「アレンジ・・・じゃあもしかして譜面ですか?」
T 「譜面だったね、未だに読めないんだけど (笑)。だから、定期演奏会とか、何かコンクールに出る時は、課題曲のテープ聴いて耳コピしてたよ。」
K 「けど、ドラムってバンドにだいたい1人じゃないですか。先輩とかですでにやってる人いなかったんですか?それこそ1軍・2軍みたいな・・・。」
T 「何人かいたよ。さすがに一年生の時は演奏会では叩けなかったけど、それでも1軍・2軍みたいなのは無かったかな。」
K 「なるほど。いいなー、なんか思ってたより緩い感じなんですね。ちなみにその頃、部活と並行してバンドってやったりしてたんですか。」
T 「やってた。中2、3くらいかな?コピーバンド、BOOWYの。世代的にね (笑)。友達にスコア借りたりして、ドラムじゃなくてギターばっかりコピーしてたな。布袋かっけー、みたいな感じで。」
K 「ギターですか (笑)。」
T 「言っても中学生なんてまだ子供だからさ、どうしても目立ってる奴のほうに目が行っちゃうでしょ (笑)。」
K 「でも、その頃からギターも普通に弾いたりしてたんですね。」
T 「やってたよ、それこそ長淵剛とかね。まあ、今弾けっていわれたら弾けないし、指弾きみたいな難しい事もできなかったけど、とりあえずコード押さえられればそれっぽいってのはあるじゃん (笑)。木暮も曲作る時ギターでしょ?」
K 「ギターっすね。確かにコード風なものを押さえられれば何とかなりますねー (笑)。でも中学生でドラム叩けてギター弾いて・・・早熟だなー!俺が中2の時なんか何もしてなかったからなー。・・・ちなみにコピーしてたのって他に何かあります?」
T 「爆風スランプ。」
K 「『ランナー』、ですか?」
T 「ううん、それより前。そうそう、初めて行ったコンサートが爆風スランプで。友達に誘われていったんだけど、曲とか何にも知らないで行って、そしたらそれがすげー楽しくて。うわーバンドってすげーな、みたいな感じ。」
K 「へー、俺 『ランナー』以外に爆風スランプの曲ってわかんないっす。」
T 「『大きなタマネギの下で』、とか。」
K 「あ、それは知ってます。」
T 「『無理だ』。」
K 「無理だ・・・?」
T 「『たいやきやいた』。」
K 「・・・?残念ながらわかんないです (笑)。 けど、そういう部活じゃなくてバンドの練習って、やっぱスタジオ借りてたんですか?」
T 「うーんと・・・部活って、3年になればなんでも好きな事できちゃうじゃん?だから普通の部活の時間に無理矢理やったりとか・・・あと、実家が建築業なんだけど、工場みたいなのがあって。そこにドラムセットと小さいアンプ置いてやってた。すごい騒音だったけど。」
K 「残響が半端なさそうですね (笑)。」
T 「何回も苦情が来てた (笑)。だけど、高校入ってからもそこ使ってたからね。」
K 「高校生の時は部活はもうやってなかったんですか?」
T 「やってなかった。だからその工場で色々コピーしたりして遊んでたね。ブルーハーツ・・・あとは洋楽、TOY DOLLSとかね。」
K 「シンナー吸ったりしなかったんですか?」
T  「シンナー吸わなかったね (笑)。まあ、遊びに来る先輩とかでそういう人もいたけど。勝手に来て吸う、みたいな (笑)。俺、兄貴がいるんだけど、兄貴が専門学校の卒業制作で、何故か丸太小屋を作ってさ、4畳半くらいの。それで途中からドラムセットそっちに移したん だけど、その小屋が飲み会の会場みたいになったりしてたな・・・。」
K 「ああ、兄貴関係の悪い飲み会みたいな・・・」
T 「いや、俺の飲み会 (笑)。」
K 「ははは、マジっすか、完全な青春ですねー (笑)・・・ シンナーで話それちゃいましたけど、コピーバンド話でしたよね?」
T 「TOY DOLLSね。そうそう俺、当時洋楽で流行ってたハードロックって全然通ってなくて。20歳くらいまでツェッペリンも聴いたことなかったし。」
K 「有名音楽学校の最初の授業で、『これがグルーヴというものだ』って講師が聴かせてくる、っていう都市伝説まである led zeppelin の話ですね。」
T 「それは知らないけど (笑)。まあ、どんなもんなのか聴いてみようと思って・・・聴いたんだけど、当時はよくわかんなくて。何これ、遅いな、って思った (笑)。」
K 「その年頃って、曲の速い遅いはかなり重要ですよね (笑)。」
T  「重要だった (笑)。今でこそBPMの速い音楽なんて珍しくないけど、高校の時の俺からしたら、TOY DOLLSなんて尋常じゃない速さに聴こえたからさ・・・。そういうのと、あとは SPECIALS とか Fishbone だね、その頃ハマってたのは。そういうバンドは LA-PPISCH から遡って見つけたんだけど。『宝島』 読んだりすると色々載ってて、LA-PPISCH が影響を受けたバンド、とか。それで色々知って聴いてみたら全部カッコよくて。その頃の同級生は、だいたい皆、ガンズかエアロ、って感じだったから、一応 俺も聴いてみようと思って借りたりするんだけど、有名な曲だけ覚えて返す、みたいな (笑)」
K 「こんな感じかー、ぐらいの (笑)」
T 「そうそう (笑)。」
K 「そういえば昔、ケンジ君が言ってたんですけど、その頃からドラムが上手い!って地元では有名だったらしいじゃないですか。」
T 「そんなの、すごいローカル・レベルの話だよ!町内で有名とか、そんな感じだよ。」
K 「ちなみにケンジ君とかタガミさんて、その頃はもう知り合いなんですか?」
T  「うん。ケンジはおっかない兄ちゃんがいるんだけど、俺と同級生だったし、タガミとも同じ高校で、最初はそんな仲良くなかったけど、そのうち遊びでバン ドやったりしてた。それこそ、今みたいに一緒にやるようになったのは東京出てからだね。高校卒業して音響の専門学校行ったんだけどさ。」
K 「え、じゃあミックスとか機材の勉強をするために・・・」
T 「全然してない。そういう学校行ってたってだけで、今でも全く詳しくない (笑)。」
K 「ははは、青春っぽい!タガミさんも同じ学校ですか?」
T  「ううん。タガミは別の予備校行ってたね、東京には出てきてたけど。その頃、専門の友達とやろうって言ってたバンドがあって、まあ、その友達は今では順 調に敏腕エンジニアとしてモー娘。とかやったりしてるんだけど (笑)。そのバンドのボーカルに、予備校生だったタガミを誘ったんだよね。で、タガミの家で曲作ったり。」
K 「あ、もうオリジナル曲を作り始めてたんですね。」
T  「そうだね、自然発生的に。コピーもしてたけどね。あと、お互いがカッコいいと思う曲を持ち寄って、聴かせあったりとか。・・・そのうちタガミが、あの テープのさ、MTRってあったじゃない?あれを買ってきて。俺、そういう学校に行ってるのに使い方全然わかんなったから、タガミに全部録音してもらって (笑)。」
K 「(笑)。 え、じゃあ、もしかしてそのバンドって、スキャフルキングの原型になるんですか?」
T 「そうだね・・・それこそスキャフルの曲でその頃作ったのとかあるし。」
K 「マジっすか!どの曲ですか?」
T 「Irish Farm。」
K 「へー!Irish Farmかー。こないだの荒井のイベントで高本ちゃんとチュンがカバーして、タガミさんも飛び入りしてましたよ。」
T 「15年位前に作った曲だけどね (笑)。」
K 「じゃあ最初から英語で歌詞作ってたんですね。」
T 「そう、不思議だけど。ちょうど洋楽をすごい聴きだしてた時期と重なってたのもあったし、日本語って乗せるの難しいな、っていうのが感覚的にあったからかな。」
K  「俺らが歌詞を英語にしたのって、完全にスキャフルとかその周りのバンドの影響ですけど、でもその感覚って何でなんすかね。たとえば昔の・・・それこそ 日本のロックが始まったみたいな頃は、ロックの歌詞は英語だ!とか、日本人だから普通に日本語でしょ、みたいな論争があったり、だけど80年代のバンド ブームの頃は日本語のバンドばっかりでしたよね。」
T 「そうだね。でも俺らが東京に出てきて、普通にライブハウスに行ってた時期だから・・・ 90年代の最初の頃か。その頃は、気になって観に行くバンド、例えばニューキー・パイクス、ハイスタ、ココバット、あとコークヘッドとか、何故か英語で歌 うバンドばっかりで。だけど、別にその人たちを観て英語にしようって思ったわけじゃなくて・・・何だろうね。なんかその時代にバンドをやるんだったら英 語、っていう感覚があったのかも。まあ俺らはその頃、ただ燻ってただけだけど (笑)。」
K 「燻ってたんですか (笑)。」
T 「ライブハウスに出ることは出てたけど、オリジナルと一緒にコピーも普通にやったり。」
K 「コピーしてたのって、スカっすか?・・・スカっすか、ってひどい質問だな。ひどい。死んだほうがいい (死)。すいません生ビールください。」
T 「ははは、死んだほうがいいね!それで何だっけ・・・あ、コピーしてたのはレッチリとかだよね、時代的に。それで友達の企画に出させてもらったりとか。当時はそんな、今みたいに簡単に音源を出せる感じでもなかったし。」
K 「ちなみにバンド名って・・・」
T 「スキャフルキング。」
K 「あ、もうその時からスキャフルだったんですね。」
T 「そうだね。その頃から名前は決まってたんだよね。」

店のババア「ハイ、生ビールおまたせ。」

K 「・・・ライブハウスで言うとどの辺でやってたんですか?」
T 「新宿の JAM とか・・・下北だったら 251 、屋根裏とかだね。」
K 「けど、今聞いた感じだと、その頃のメンバーと1st アルバム出すくらいの時のメンバーって、けっこう替わってますよね?」
T  「そうだね。学生時代の友達とやってたスキャフル・・・仮にそれが第1期スキャフルだとすると、俺が学校卒業するくらいの頃、解散しちゃうんだよね、理 由は忘れちゃったけど。それからちょっと経ってから、今度はホーン増やしてちゃんとやってみようって始まったのが第2期スキャフル。第1期の頃は管楽器は サックスしかいなかったんだけど、今度はトロンボーンとトランペットも入れよう、みたいな。それでデモテープ作ったりしてたね。93年とかかな?第2期が 解散したのが94年くらいだったと思う。」
K 「あ、それも解散しちゃうんですね。」
T 「そう。ちょうどその第2期が解散した時に、 俺、ヒジの腱鞘炎になっちゃって。体質的にヒジの腱が骨と擦れちゃうっていう・・・何かちゃんとした病名もあったんだけど忘れた。とにかく1年間ドラム叩 けなかったんだよね。だから、その1年間はひたすらイメージトレーニング。」
K 「ヤバい。PONTA言うところの『棒切れ持つ前にやることがある』ってやつじゃないすか。」
T  「そうそう (笑)。その話じゃないけど、ちょうどその頃、たまたまPONTA のビデオ見返してさ。これはやるしかない、って思って、鏡の前でずっと素振りしてたよね、スティック持たずに。当時住んでた部屋が風呂なしだったから、銭 湯行ったら、風呂あがりにでかい鏡の前でやってたねー。一人っきりで (笑)。」
K 「それはすごいなー。もし俺がその場面を赤の他人として目撃したら、こんなところにも!って思って相当燃えますけどね (笑)。ドラマーってそういうところありますよね。」
T 「変なところで真面目な奴が多いよね。」
K 「銭湯で他人の視線なんか気にしてる場合ではない!」
T 「(笑) 。その時は何かやらなきゃ、って切羽詰ってたからだけどさ。まあ、そんな感じで1年が過ぎた頃に、ちょうど第3期スキャフル・・・木暮とかが知ってるメンバーのスキャフルが始まるんだよね。」
K 「お!それはタガミさん発信ですか?」
T 「やろうって言い出したのはケンジだね。ケンちゃんが、『やりましょうやりましょう』ってずっと言ってくれてて。」
K 「ケンジ君は、タダコさんたちより遅れて上京して来たんでしたっけ?」
T 「うん、そう。・・・だけど俺はその時、ジャズをやりたいと思ってて、けっこう本気で。だから、スイング・ジャーナルにメン募載せたり、バイト先にいたピアノの人ともジャズバンドやりましょう、みたいな話をしてたし。」
K 「そうなんですか?全然知らなかった。ちなみにどんなのがやりたかったんですか?」
T 「Bill Evans Trio みたいなやつ。当時カフェでバイトしてたんだけど、働いてる間は好きな音楽かけてよかったのね。だから一日中ずっとモダン・ジャズばっかりかけてて。」
K  「へー。俺はぜんぜん詳しくはないんですけど、よく『ジャズに名曲はなく、あるのは名演だ』とか言ったりするじゃないですか。ビバップから即興っていう 要素に重点が置かれ始めて、そっからモードとかフリーとか、色々なスタイルが生まれてくるのが面白いですよね。同じテーマでも、どう解釈して演奏する か、っていう・・・」
T 「面白いよね。『枯葉』だけで何十曲あるんだろうっていう (笑)。」
K 「(笑)。 けど、そっからどうやってスキャフル・キングに戻っていくんですか?」
T  「自分の中の予定では、ジャズ・バンドを本気でやりながらスキャフルは遊びでやろうと思ってたんだけど、始まったらやっぱり面白くて。そこからは何か早かったな、色々。」
K 「初めてCD出したりとかって、その頃ですか?」
T  「そう。最初のリリースは・・・『SKANKIN’ IN THE PIT』っていうオムニバスか、『SKAVILLE JAPAN』っていうユニオンから出たやつのどっちか。ユニオンの大塚さんは第2期スキャフルの頃からCD出さない?って誘ってくれてたんだけど、そんな 話があったのに何故か俺らはバンド止めちゃってたから、最初はやっぱり興奮したよね。うわっ、CDになった!って感じで。・・・すいません、ウーロンハイ 一つ。」
K 「なるほど。そっから『SCANDAL!』出すまではどんな感じだったんですか。」
T 「何か・・・トントン拍子って感じだった。まあ、時代的な流行もあったと思うよ。ファランクスからは先にルード・ボーンズが出したりしてたし、スカコア自体が盛り上がってたしね。で、『SCANDAL!』が97年に出て。」
K 「すげー覚えてますよ!今はなくなっちゃったインディーズ・マガジンの付録CDに『without you』が入ってて。俺、当時友達の家を転々としてたから、今のメンバーの家に泊めてもらう時とかに聴かせたりして。『やべー』とか言いながら (笑) 。」
T 「あの曲も古いんだよね。第2期の時のデモ・テープに入ってるし。」
K 「間奏が何気にトリッキーだ、って話になって、原の家で間奏だけ何回も聴いたりしてましたよ。」
T 「(笑)。それはタガミのココ (腕を叩きながら) じゃない?」
K 「ははは、俺達それにがっちり捕まれましたよ。とにかく、スキャフル知った時は本当びっくりしましたねー。メンバー全員ハマって。それと並行してハイスタとかスーパー・ステューピッドとか。スカコアとかメロコア、インディーズっていう言葉もその時知ったなー。」
T  「今で言うメロコアって、最初はアメコアとかUSコアって呼ばれ方してたよ。初めてツネ君見た時はびびったな。『ヤバイ、練習しないと』って思った (笑)。話が前後しちゃうんだけど、東京出てきてライブハウス通いだした最初の方は、何だ、東京って言っても大したことないじゃん、って思ってたんだけ ど、初めてハイスタ見た時は、うわっ!って思って、速攻音源買って。『SHAKE A MOVE』っていう、アクロバット・バンチなんかも入ってるオムニバスなんだけど。で、すぐタガミに聴かせて。二人で『やっぱり東京凄いわー』って (笑)」
K 「俺もびっくりしましたよ。原が『これは人間の叩くリズムではない』って言ってた (笑)。あのBPMでキックのダブルがシングル・ペダルだったし、何よりインディーズ・マガジンの表紙で初めてメンバーの顔見たんですけど、江古田の深夜 スーパーで働いてそうな感じで、ものすごく親近感が沸いた (笑)。だけど、メンバー全員でアナログの音源追ったりするくらいハマったのはスキャフルが最初でしたね。まーメンバーって言っても、その頃はまだバンド やってないから単なる友達ですけど。」
 

店のババア 「はい、ウーロンハイね。」  

K 「ツネさんのアスリート感もヤバかったんですけど、タダコさんの上手さって、当時のあの界隈のドラマーでも浮いてたじゃないですか、いい意味で。スムーズで軽やかな感じが。」
T 「ははは、そんなの上っ面だけだよ。昔の曲を今聴いたら印象違うよ。」
K 「そんなことないですよ。だからちゃんとした訓練を受けた人なんだろうなって思ってました、ついさっきまで (笑)。」
T  「いや、俺は本当に何か、表面的に取り入れてるだけって感じだったよね。バンドの音楽性とは縁のない、例えばフュージョンの、自分にできる簡単なとこだ けちょっと取り入れてみるっていう。無責任な感じ (笑)。まあ、パンクだからこういうドラムで・・・みたいにあんまり凝り固まって考えない、そういう最初の世代だったんじゃない?柏倉とか一瀬とかさ。彼 らは元々実力があったんだろうけど、俺の場合はできる範囲でいいとこ取り、みたいな。」
K 「そういえばタカシ君とこれやった時も、チック・コリアとかハマってた時期があるって言ってたな。俺は高校生の時に、原に聴かされたカシオペアが最初 のフュージョン体験でしたけど、『スーパーで流れてる音楽じゃん』って思いましたからね。その時は良さも一切わからなかったし、技術の高さとかも全然気に してなかったからなー。ラッパーのスキルの方が気になってましたね (笑)。」
T 「そう、だからあれを思春期にカッコいいって思えるギリギリ最後の方が、俺ら世代だったんじゃない?」
K 「そういえば・・・・・・」

ここから私の酔いが廻ってきて載せられない世間話がしばらく続く。己の酔った戯言を聞きなおす作業・・・the 地獄。

K  「『SCANDAL!』にハマった理由っていっぱいあるんですけど、例えばシンプルなコード進行にメロディーを乗せてギターだけ裏打ちしてる、っていう 当時の典型的な感じとはまた違ったじゃないですか、全体的に。曲調もバリエーションがあったし。それで作曲クレジット見たら、一番好きな『YOU AND I, WALK AND SMILE』を作ったのはドラマーだったっていう (笑)。」
T 「あれは、言っちゃえば元ネタだけ出して、後はバンドで仕上げたようなもんだから。」
K 「あと、川崎がアナログの『SENSATIONAL!』にしか入ってない曲をいきなり車でかけたりして。『何これ!』『あれ、知らないの?』みたいな (笑)。」
T 「(笑)。そういえば当時はみんなアナログ出してたね。それがけっこう早く売り切れちゃったりして。」
K 「俺らはただのファンだからわかりませんけど、あの90年代後半の盛り上がり方って、当事者の人達からしたらどうだったんですか?」
T  「うーん、どうだろう・・・。まず、周りが凄かったからね。ハイスタはもちろん、ブラフマン、バック・ドロップ・ボム、ハスキング・ビーとか、凄い位置 まで行ってたから。俺らはエア・ジャムに出てからのライブの動員とか、CDのバック・オーダーが凄かった。Tシャツの売れ方なんか何だこれ?! って感じだったし・・・。何だかんだ洋服関係の人がライブに来たりとか。」
K 「思い出してみると、けっこうバンドの人がする流行の服装みたいのもありましたよね。アウトドア系のキャップにバンドTシャツ、短パンみたいな。」
T 「あったねー。俺はそういうファッションとか全く興味がなくてさ。一番最初に出たエア・ジャムの時の出演者で、長ズボン履いてたヤツってホントいなかったんじゃないかな。俺は履いてたけど (笑)。」
K  「(笑)。ファッションって言えば俺、スーパー・ステューピッドでイチさんを初めて見た時、その当時のB-BOYっぽい服装でベース弾いて歌ってて、 カッコいいなと思ったんですよね。バンドの音楽も、接点のなさそうな3人がやってるディープなトライアングルって感じで。その好きだった2つのバンドの人 たちが、今一緒にやってるっていうのも面白いですね。・・・あ、すいません生ビールください。」
T 「そうだね。まあ、当時はホントおっかない先輩って感じだったから、まさか後々バックでやるなんて思ってもみなかったけど。」
K 「けど、2000年くらいになると、スキャフルって一回止まっちゃうじゃないですか。ファン目線で傍から見てたら、アルバム3枚出して凄い順調な感じに思えたんですけど、あれは何でだったんですか?」
T 「うーん、何でなんだろうね・・・。別に仲が悪かったわけでは全然ないし。」
K 「ゆらゆら帝国じゃないですけど、それこそ、やり尽くした、みたいな感じですか?」
T  「うーん・・・どうだろう・・・。当時それなりに色々、みんな考えてたんだと思うけど俺としては何か、状況が自分の範疇を超えちゃったって感じかな。バ ンドでこうなりたいっていうのも、もともと転換の時のセッティングが面倒だから早くワンマンがやりたい、くらいだったからね。でかい会場でやりたいとか、 長いツアーしたいとか、そういうのもなかったし。落ち着いてできる環境だったら、小さい所でもどこでもいいと思ってたからさ。」
K 「大勢の人に聴かれるようになって、何か変わった部分とかあったんですか」
T 「変わった部分・・・もしかしたらバンドとして自然に変わっていったところはあったのかもしれないけど、個人的には特になかったと思う。」

店のババア 「ハイ、生ね。」

K  「はい、どうもねー。・・・でもやっぱりスキャフルが俺ら世代に与えた影響って大きかったですよ。って、まあ、俺ら世代って言っても、他の人たちのこと は知らないから、うちのメンバー4人に限ってですけど。本当の意味でのミクスチャーって言うか。それを演奏する技術が高かったりとか。」
T 「・・・けど、技術と言えば最近のバンドはみんな上手いよね。ネットとかで情報拾うのが早いから、その影響なんだろうね。」
K 「そうっすねー。YOUTUBEでブラジルのヤバイ奴の動画見れたりしますもんね。」
T 「昔は教則ビデオだったもんな。あれ見たことある?ガッドが最初に出したビデオ。」
K 「エメラルド・グリーンのカットソー着てるやつっすか?」
T 「どうだったかな?・・・まあとにかくそのインタビューがひどくて面白いんだよね。質問されてるのに、一分間くらい一点を見つめながら黙ってて (笑)。目とか完全に飛んでるし。」
K 「それを収録しちゃうところもすごいな(笑)。捕まってる人もいるし、あのくらいの時代の人たちは何かそういう豪快な逸話が多いですよね。そういえば・・・・・」

このあと小一時間、酔いどれた私の下らない話が続く(死)。付き合ってくれる優しいタダコ氏。面白いやり取りもしているのだが、ここに載せるにはユーモアに毒が効き過ぎている為、割愛。

K 「じゃあ、そろそろ締めの質問に・・・そうだなー・・・・バンドでリズムだけじゃなくて曲全体を作るドラマーってそんなに多くないと思うんですけど、タダコさんがそうなったのって何かきっかけありました?」
T 「ははは、そんな大々的に言うほど作曲してないけど (笑)。なんだろね。普通に音楽やってれば、自分が得意な楽器にかかわらず自然にそうなってくんじゃない?」
K 「でも、周りを見ると結構、職人気質なドラマーって多くないですか?ニーズに応えるために引き出しを増やしとく、みたいな感じの。・・・最近思ったのは、やっぱり一緒にやってる奴が柔軟だからなのかなー、と。」
T 「それはあるかもね。作曲のリーダーがいるワンマンバンドだったら、こうなってないだろうし。あ、すいません、ウーロンハイ。」
K 「あと、生1つね。」

店のババア 「お料理ラストオーダーですけど。」

K 「あ、大丈夫っす。・・・ちなみにバンドに持ってく時点で、どのくらい形になってるんですか。」
T  「うーん、まあメロディーとコード進行とリズムパターンっていうのが多いかな。ベースラインが付いてたり、付いてなかったり。そういや、さっきの木暮の 話じゃないけど、それこそ俺もフィッシュボーンのクレジット見てたらドラマーが曲書いててさ。それが俺の好きな曲ばっかりで。一般的なイメージだと、曲は ボーカルとかギターが作るものって感じじゃん。だから、あ、こういうのもアリなんだって思ったかな。」
K 「そういう小さいきっかけで、けっこう固定観念って変わったりしますよね。」
T 「そうだね。でも、まあ普通にメロディーとか思いつくじゃん、誰でもさ。それを鼻唄で友達に聴かせるくらい気軽な感じだよね、最初は。」
K  「そういえば昔、俺がスタンリーって曲のネタを持っていった時に、川崎が『Cから始まるって、思い切りがいいね』ってニヤニヤしてたんですけど、こっち はギターもあんまり弾けないし、セオリーも気にしてないから、何で面白がってるのかもよくわからないじゃないですか。」
T 「ああ、わかる。『何 でここはこうなの?』みたいな反応される時あるよね。 『ものすごいベタなコード進行だけど大丈夫?』みたいな(笑)。うちのバンドは、他の2人がけっこうしっかりした曲を作れる人達だから、そんな中に自分の そういうネタが混ざるとまた面白いのかな、とか思ったりするし。」
K 「あと、たぶん作り方が大ざっぱな気がするんですよね。まあ、たいてい大丈夫だろう、みたいな見切り発車感が強い(笑)。説明もできないし。なんかいい感じじゃない?ぐらいしか言えない。」
T 「ほら、ドラム叩かない人が打ち込んだリズムって、いろんな意味で面白かったりするじゃん。それの逆パターンだよね。」
K 「そうですね。それを受け入れてくれるメンバーでよかったなと。」

店のババア 「はいウーロンハイと・・・こちら生ね。」

T  「・・・まあ、だから、曲を作るのって別にそんなに特別なことっていう意識もないよね。もっと自然な感じで、ベースライン思いついたからバンドでやって みようかな、ぐらいの。でも、それがきっかけで学んだりするじゃん。自分の持ってるイメージがあるから、このベースに対してドラムはシンプルな方がカッコ いい、とか。」
K 「そうですね。逆にドラム演奏だけを中心に考えていくタイプが、速さや技術を極めたりするのかなーって思うんすよね。そういう世界も好きですけれども (笑)。」
T  「わかるよー (笑)。 たださ、何かちょっとした反骨精神みたいのってあるじゃん。例えば名前のある大物が、腕利きの人たちを集めて作るアルバムももちろんいいんだけど、俺らは そういうところで始まってないし、稚拙でもいいからこれ面白いでしょ、っていうものを作りたいっていうのはあるかも。」
K 「銀座の天ぷらも美味いらしいけど、立ち食いそば屋のソーセージ天もうまいよ、みたいな感じですかね。」
T 「そうそう。それを美味いって言える友達がいるっていう。やっぱり周りに恵まれてるんだよね。」
K 「締めっぽくなって来ましたね (笑)。じゃあいきなりですけど、タダコさんからみて、ケンジ君ってどんな人ですか?」
T 「・・・どんな人。うーん・・・・ケンちゃんは、真面目な人かな。普段はともかく、曲作りとか演奏に対して、すごく真面目だなって思う。勉強熱心だしね。だからああいうソロアルバムとか作れるんだと思うし。」
K 「へー、そうなんですね。そう言えば、ライブでミスしてるの見たことないもんなー・・・。俺の中では、酒場のファンキーなお兄ちゃんって側面もありますけど (笑)。」
T 「最近はそうでもないんじゃない?(笑) けど、特に音楽に関しては真面目だよ。すごいと思う。」
K 「じゃあ、タガミさんはどうですか?」
T 「ははは、どうって言われても困るよね、付き合いが長すぎて。もう20年くらいになるからね。うーん・・・。」
K 「あ、じゃあオレ今日4回目のおしっこしてくるんで考えててください。」

店のババア 「・・・だって北朝鮮がいつミサイル撃ってくるかわかんないんだから!」
客のオヤジ 「けどな、それじゃアメリカの思惑通りなわけよ・・・。」

K 「さーせんね。飲むと近くて・・・それで、思いつきました?」
T  「話が相当さかのぼるんだけど、高校の時にタガミと遊びでバンドやったって話したでしょ。その時のライブで、すげー堂々としててさ。物怖じしないで客 煽ったり・・・いきなりそうなれる人って少ないじゃん。内輪ウケを狙うとか、カッコつけたりとかそういう感じでもなく、自然に。その時に、わーこの人す げーなーって思って。今ライブでさ、お客さんを盛り上げて、場を把握してくみたいな、あの感じが最初の頃からあって。場を持っていけるっていうか。多分そ れって天性じゃん。」
K 「そうですね。パーティー野郎・・・じゃなくって、正にMC・・・マスター・オブ・セレモニーですね!(死)」
T  「そういうところがすげーなって思ってて。その時から歌も上手かったし。もちろんそれから色んな努力もしてるんだろうけど、高校生の時、規模的には小さ いあの場所で見たときから、そういう片鱗みたいなのはあったね。それから学生時代のバンドの時も、普通に曲を作ってきて。まだオリジナル曲を作るとか、そ んな発想もあんまりない頃に。それも結構びっくりして、この人と一緒にいたら面白いんじゃないか、ってそう思って・・・」
K 「それで、かれこれ20年の付き合いになるわけですか。」
T 「そうだね。いつの間にか。そう考えるとやっぱ仲間に恵まれてるよね。」

この後、酔った二人は知り合いのドラマー複数に電話し、PVの打ち上げをしていたNIWチームのいる下北の酒場へ。タダコさんありがとうございました。

(6月某日 代田橋の居酒屋にて)