Diary

2011.2.12011/02

木暮です

元旦

明けましておめでとうございます。

年越しは自宅で日本酒を舐めつつ、テレビや録りためてあったドラマなどを観て、だらだらと過ごす。0時前に窓を開けると、冷気と共にどこからか聞こえる除夜の鐘の音。餅を食う。昔は友人と集まって騒ぎながら年を越したものだが、ここ何年かは家でゆっくりと過ごす事にしている。

1月某日

レコーディング再開。スムーズだったのは前半のみで、そこからは例のごとく録音前日に翌日の作業が決まり、そしてそれを録る作業。ちょっとした合間に荒いとモンスターハンターをやっていると、死んだ目の腹がブースから出てきて「わかば」に火をつける。吐き出す煙に負のオーラが混ざっている。

1月某日

ミックス作業のため湾岸へ。休日の大井競馬場前は閑散としており、水辺の寒風が頬に冷たい。湾岸音響のある馬鹿でかい倉庫、その入り口でいつも難しい顔をしている管理人も、今日は誰かと談笑していた。普段は人と車でざわざわしている構内の一角には、前日の作業を中断したまま放置されているダンボールの山がある 。開け放してある入り口からはオレンジ色に光るストーブが見えるが、人影はない。しかし誰かしら休日出勤しているようで、作業場の奥からラジオの音が聞こえる。高い天井にそれが薄く反響していて、少しノスタルジックに響く。

2月某日

前の日記で「もっと更新する」といったような発言をしたが、やっぱり時間が空いてしまった。気づけばアルバムが出るまであと一週間もない。

笹塚のスタジオで働いているツッチーという男が、行く度にいつも気になる音楽を流していて、昨日はクンビアのコンピを貸してくれた。スヌープ・ドッグというラッパーが「来春のお勧めギャングスタ・ファッション」というコメントとともに載せていた写真、極彩色のサマー・セーター。お前しか着れないよ、ボス・ドッ グ先輩!と思っていたが、同じような柄のセーターをツッチーも着ていたのだった。

レコーディングに追われて、気になっていたレコードや本を一気に買う。友達の家で流し読みをしたことがあって、面白いのは知っていたが、改めて読むとやっぱり面白い「ブラスト公論」。古本屋で見つけた「抗議としてのジャズ」、ジャズつながりで「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」。夏目漱石ばかり読んでい て、なぜか一冊しか持っていなかった森鴎外なども買う。なぜ今まで読まなかったのだろう、と少し後悔するような素晴らしい小篇集。

それと何枚かの古い音楽と新しい音楽。しかしそれらを聴くとき、経過した時間から来る感覚的な隔たり、もしくは最新のものだからこそ感じる同時代性、そういったものが自分の中で徐々に希薄になってきているのを感じる。僕もしっかり情報社会の影響を受けているのだろう。しかし、未知の音楽に対する好奇心と探究心 はいまだ衰えない。ニコチン中毒であると同時に感動中毒でもあるからである。幸せなことだと思う。

「ジャケ買い」のような直感的な買い物をしていると、中にはもちろんハズレもある。そういうものを即時売却するような行動力は僕にはないので、趣味の棚は混沌としている。そろそろ掃除しねーとなー。

アルバムがもうすぐ発売されます。わざわざ手に取ってくれる人たちの日常を、少しでも明るくできるものであったらいいな、と願っております。