Diary

2011.9.12011/09

木暮です
8月某日

ツイッターやレビューなどをやるようになってから、ここの存在をついつい忘れてしまっていて、気づけば3ヶ月も放置していた。何度も言っているけど、もう少し頻繁に更新します。

8月某日

ライブの編集直しで1人、原宿へ。早く着いてしまったので東郷神社で涼んでいると、凄まじい蝉の声の中、潜水艦乗員慰霊碑の前で老人が佇んでいた。
監督のスタジオでPOTE公と合流し、偉そうに煙草を吸いながら細かな直しを入れる。しかし、あまり長く観ていると狂いそうになるので短時間で終了。帰りの車内でPOTE公が話す、オフショット編集や装丁の締め切りをなるべく聞かないようにしながら、コーヒーを啜る。夏休みの竹下通りは、クレープ片手の中学生で溢れ返っていた。高校の頃、この通りを少し横に入ったマンションで暮らす友人がいて、よく遊びの帰りに泊めてもらったことを思い出した。彼は今どこで何をしているのだろう。

9月某日

ラッシュボールの打ち上げに少し遅れて参加。雨の心斎橋で軽く道に迷う。魔阿坊に電話すると、明らかに泥酔しているにも関わらず迎えに来てくれた。そして入った会場で、久しぶりに大量の酔っ払いを見る。しかし冷静に場を見渡すと、学生のように騒いでいるのはSPC、アジアンゴシック周辺、タクティクス(というよりトシロウ君)といういつもの面々。ウォッカ、テキーラ、ウィスキーの瓶が空いていき、殴る、蹴る、泣く、語る、寝る・・・様々な種類の酔態を晒していた。サト魔とマコトさんがいるベーシスト席で軽く話して帰宿。泥だらけの足場で僕達の演奏を見てくれていた全ての人に感謝しつつ。

9月某日

荒イもヒロシも前日に飲みすぎたようで、吹田を出るとすぐに眠ってしまった。助手席に座りながら、新しいローディーのアベちゃんの海洋高校時代の話に始まり、長崎の大学時代、中退してからの大阪時代・・・そんな彼の青春遍歴をBGMに名神高速から東名へ。シャッフルにしたiPod からは 9th Wonderのブレイク・ビーツ→もってけセーラー服→Doobeeis。途中で運転を代わって、アベちゃんの休みの日の過ごし方(一人で呑みに行く25歳)を聞きつつアクセルをベタ踏みしていると、何故か車内に香ばしい匂いが漂う。屍だったはずのPA秋山が一瞬起きて、「おにぎりせんべい」をサクサクと食い、その一分後にはまた眠っていたのだった。東京に着き、復活した荒イと池袋にてラーメンを啜り、帰宅。

9月某日

この夏は忙しくしていたせいか、いつもより早く過ぎて行った様に思う。煙草を吸いながら、HCFCのコバ氏が言っていた「30超えたら速いよ」という言葉を思い出したりする。
ターンテーブルの置き場所を変え、興が乗ったのでCD棚を整理。買って聴かずに忘れていたBLACK SMOKERのMIX CDや、「2003池袋PENTA」と書かれた、練習を録音したらしいカセットテープ、いくら探しても見つからなかったDJ KOZEのソロワークスなどが出てくる。カセットはさすがに聴けないが、記憶にないCDが見つかるたびに再生せずにはいられず、あまり作業がはかどらないまま、時計を見ると23時を過ぎていた。窓を開けると、雨上がりの涼気が部屋に浸透してくる。 夜の挨拶の返信は「おはよう」だった。

9月8日午前2時28分

正午過ぎに家を出て自転車でスタジオへ向かう。陽射しはまだまだ夏のものだが、時折吹く風はもう次の季節が近いことを感じさせる。
とは言っても、スタジオに着く頃には汗だくになっている。
城北公園から聞こえるサイケデリックな蝉の合唱。そのせいか、起き抜けに聴いたA・ラッセルが自転車に乗ってる間、ずっと頭の中でループしていた。
原君の体調が優れないらしい。明日の練習の時には良くなってればいいけど。

追記
この日記を書いた次の日に原が入院してしまいました。ご心配とご迷惑をかけた皆さんにお詫び致します。それと、Twitterやメールであたたかいメッセージをくれた皆さん、本当にありがとう。