Diary
2012.7.30フランス日記後編
5月某日
地下はライブハウス、階上はバーとレストランという造りのGUSHが馴染みらしいヴェニューにてライヴ。オープンが早かったので、演奏開始時に観ているのは対バンのメンバー数人とバーテンだけ、という僕たち好みのシチュエーションに全員が燃える。出番が終わる頃にはフロアに半分くらいの仏人。ぶっ飛ぶ皮裂キ。終演後、物販をしているカケのところにバーテンの女性がやってきて、「あなた達はもっと遅い時間にプレイして、もっと多くの人に聴かれるべき音楽をやっていたわ」と言いながらCDを買ってくれたらしい。そんなことは全く知らずに僕たちは楽屋でチーズバーガーを貪り食っていたのだった。次々と空になってくハイネケン、赤ワイン・・・。いつの間にか楽屋には荒イとカケと僕の3人しか居らず、酒がなくなっちまったね、えへへ、なんて話していると、酔っ払ったマシューがやってきて、ナイスタイミングでウォッカを一瓶差し入れてくれる。「これから俺のDJタイムだ!」と言うのでフロアに出てみると、さっきまでレストランだった場所でビースティー・ボーイズが爆音で流れ、お洒落なパリジャン・パリジェンヌ達がスタイリッシュに踊っている。そこに混ざってゆらゆらと揺れる板橋のボウフラ2匹と付き添いの小舅。ショート・カットの可愛い子とダンス・バトルを5秒ほどしてから楽屋に戻り、煙草を吸いにきた別の女の子にドリンク・チケットを全て渡して帰宿。フレンチ・ナイトライフも楽しそうだなー、とか言いながらホテルに帰ってからもしつこく呑み続け、眠ったのは明け方だった。
5月某日
日本のマクドナルドにはない「フランスパンに肉を挟んだ細長いやつ」を朝飯に食う。さらにビック・マックも追加して食っていたカケが突然の腹痛を訴えベッドに倒れこんだ。それを横目に午後も早くから酒宴を始めるthe
band apart とPAの魔坊。赤ワインをあおりながら「カケガワーまだ腹痛いの?」「痛いす」「あっはっはっは」というやり取りを20回くらいする。僕が遠い目で「まだ全然帰りたくないなー・・・」と言ったら、その場にいた全員が「マジで?」と驚いてこっちを見た。僕以外のツアー参加者全員が一刻も早く日本に帰り、クーラーの効いた部屋で「パムー」とつぶやきながらごろ寝、右手にPCのマウス、左手にTVのリモコン、手の届く範囲にポテトチップスとコーラ、思いついたようにネットゲームに接続し15時間現実に帰ってこない、そんな生活に戻りたいようだった。THE・不定職者。アリとキリギリスという童話を思い出す。翌日のロングフライトに備え夜が更ける前にベッドに入る。
5月某日
生まれて初めて睡眠導入剤というものを飲んでみるが、全く効かないまま映画を観続け、日本に到着。着いた瞬間から、昨日の体調の悪さが嘘だったかのようにはしゃぎ始めるカケ。「角煮・・・いや、カレーライスもいいですね!」と、聞いてもないのに自分の食べたいものを口走っている。時差ボケ特有の夢の中のような感覚のまま帰宅すると、自宅マンションの目の前でタクシーが事故を起こしており、周辺一帯ににクラクションの音が響き続けているという状態。仕方がないのでコーヒーを飲みながら煙草を吸う。網戸越しに外を見ると、さっきまでパラついていた雨は止んでいるようだった。
7月某日
右を見ても左を見てもたくさんの友達が楽しそうに僕たちを見ていて、その一人一人といつどうやって出会ったかを何となく思い出す。その間も身体は勝手に動き続ける。皮裂キは首を振り続ける人形のようだし、ステージ上では涙を見せないと決めていたらしい荒イは振り返るたびに壮絶な表情、僕はそれを見て笑ってしまう。霧の向こうには3000人が揺れている。
KESEN ROCK FES 2012 実行委員の皆や全てのスタッフと関係者、出演してくれたバンド、KESEN ROCK TOKYO
に出てくれたバンド、そしてFEVER、スタジオ・コースト、種山ヶ原へ遊びに来てくれた全ての皆さん、本当にありがとう。